矢口真里の浮気報道と格差婚の心理1:男性と女性の貞操義務と不倫批判の強度

2月下旬に、タレントの矢口真里が夫・中村昌也が出張で不在だった自宅に、モデル男性を連れ込み、翌朝、予定よりも早く帰ってきた夫にその浮気現場を見られてしまったというスキャンダル。この芸能ニュースは、『婚姻における男女の権利感覚・ジェンダー論(男女逆転の格差婚)』の視点で考えさせられる部分があったので、思索メモ的に書き進めてみたい。

矢口真里 仕事減少必至も業界関係者からの評価はかなり高い

現代でも婚姻している夫婦関係において、『不倫をした側』が悪いというのは『法的・道徳的な常識論』ではあるのだが、男性の不倫の場合だと、妻がまったく料理を作ってくれない(掃除洗濯をしてくれない)とか話を聞いて優しくしてくれない(性的な相手をしてくれない)とかが、『不倫のエクスキューズ』として語られることもある(その言い分を受け入れるような古い価値観の男の層もある)が、女性の不倫のケースでは基本的にそういったエクスキューズというのは殆ど通用しない。

女性の権利感覚が自由主義国とは異なるイスラーム圏では、未だにシャリーア(イスラム法)に基づいて、『女性の不倫・浮気・婚前交渉(自由恋愛)』が犯罪行為として処罰されたり、酷いところになると家族・地域住民から石打ちの刑で処刑されてしまうこともある。だが、歴史的に見ても男性原理(家父長制の家族形態)で運営されてきた国・社会では、『女性の貞操義務』は『男性の貞操義務』よりも重いものだと見なされてきた。

そこには、『女性を男性が排他的に所有・管理するという感覚(女性を社会的交換・一族血縁の拡大のための財産と見なす価値観)』があり、女性が自由意思で『婚姻規範(一夫一婦制・一夫多妻制という一人の男性に対する終身的な貞節義務)』を踏み外すことは、そのパートナーである男性の社会的面目を丸つぶしにして、一族全員の名誉を失墜させる犯罪(道徳的・社会的な罪)だと見なされていた。

さすがに現代の先進国ではそういった極端な性・婚姻にまつわる男女差別はないが、それでも少し前までは『浮気は男の甲斐性』と言われ、男の不倫は道徳的に軽々しく扱われる文化的風潮があり、『家・妻にお金をきちんと入れてさえいれば性的貞操の違反については大目に見ても良い』とする人が男性に限らず女性(妻)にもいた。

一方で、幾ら経済的に余裕のあるお金持ちの女性であっても、『浮気は女の甲斐性(複数の男を惑わせる魅力の強さの現れ)』と言われることは決してないわけで、矢口真里の不倫報道についても、男性の不倫にはあまり用いられない尻軽・淫乱・ふしだらなど“性的な侮辱語・人格を揶揄する表現”がウェブ上に溢れている。

不倫をするような好色な男性に対しても、『女好き・浮気者・ろくでなし・不潔(気持ち悪い・汚い)』などの批判的な言い方はあるが、それだけではなく『性豪・女泣かせ・夜の帝王』といった浮気をまるで武勇伝として語るような表現も合わせて存在する。

しかし、女性の不倫に対しては、『人間性・道徳性』を真っ向から否定して攻撃するような表現が殆どであり、男性のように皮肉や冷笑を交えながらも『好きもの(好色・多情・手練手管)』であることを肯定する表現が歴史的に殆ど存在しない。女性は『道徳的な淑女』であるか『反道徳的な娼婦』であるかの二者択一を性的アイデンティティとしてあらかじめ社会的・歴史的・教育的(意識的)に強く刷り込まれてきたとも言える。

更に、『男の不倫発覚に対する男友達からの同情・援護』のようなものも女性は殆ど期待できず、不倫した女性は同じ女性の友達からも非難されたり軽蔑されることが少なくない。『浮気は男の甲斐性・妻子をちゃんと扶養していれば大半のことは免罪される』というのは男尊女卑の価値観のテンプレートであるが、そこには『女性の経済力が低いかない・女性の大半は継続的雇用がない』という前提条件があり、男性の経済力に依拠しなければ生活と育児が不可能という現実が女性一般の『貞節さ(性的な身持ちの固さ)・裏切らない一途さ』を裏書きしてくれていた。