橋下徹市長の“本音ぶっちゃけ外交戦術”は世界(米国)に通用するか?:1

橋下徹大阪市長が日本外国特派員協会で行った記者会見は、『旧日本軍の従軍慰安婦制度が女性の人権侵害であったことに対する反省と謝罪』をしつつ、『旧日本の政府・軍が朝鮮人慰安婦を強制連行したという直接の公文書・証拠はでてきていない(更なる歴史家の検証研究を要する)』という釈明をするものであった。

しかし、欧米諸国をはじめ世界の大多数のメディアは、『過去の日本の政府・軍が従軍慰安婦を直接的に強制連行したのか否か、間接的に民間業者に外注したのか否か』といった日本と韓国の間だけで争点になっているリージョナルな問題には興味がない。日本が国家として従軍慰安婦の女性個人に損害賠償すべき責任があるか否かの問題は、『女性の権利・尊厳,現代の有力政治家の歴史評価に関わる問題』ではなくて『日本と韓国の間の歴史問題の清算のあり方に関わる問題』だからである。

軍から委託された女衒・娼館の民間業者が、『甘言・詐略・脅迫』を用いて貧しい家の女性(借金の片の女性)や専業の娼婦を従軍慰安婦として集め、その女性たちを戦場の慰安所に軍部の車両を用いて移送し、移送先の慰安所では嫌でも辞める自由がなく性的行為をするしかなかったのであれば、旧日本・軍は国家として関与しておらず責任がない(勝手に民間業者が戦場に娼婦を大量に連れ込んできただけだ)などの論調は通用するはずがない。

欧米のマジョリティの意識は、『戦時中に日本兵の性的慰安を目的として、必ずしも自由意思によってその仕事を選択した女性ばかりではない女性(強制的に性的慰安をさせられる女性)が、娼婦として戦場にある慰安所施設に集められ、組織的に管理されながら性行為をさせられていた』のであれば、実質的な人身売買であり組織的・制度的な従軍慰安婦であるとしか言い様がないというものである。

国・軍部が直接的に文書に残る形で命令・強制したかどうかというのは、『韓国人の元慰安婦女性に対する国家損害賠償や日韓の歴史認識に関する争点』であって、『橋下市長の従軍慰安婦関連発言に対する国際的な関心』とはかなりズレていた。

アメリカ人記者が言ったように、官憲によって慰安婦の女性の移送・管理がなされ、日本兵の慰安所の利用が容認されていたというだけで国際社会はそれを『人身売買・性奴隷的な処遇』と定義するのであり、『国(政府)・軍部の直接の強制性を示す証拠がなかった、報酬を受け取れる慰安婦は自分から納得して従軍していた者も多いという釈明』などは日韓の歴史問題や慰安婦の損害賠償請求に関与しない国にとっては末節論である。

橋下徹市長の会見のもう一つの主旨は、『従軍慰安婦問題で日本だけが特別に非難されることはおかしい、他の国々も戦時中には女性を性的対象として利用したり(組織的でなくても慰安所のような場所を利用したり)、占領地で性犯罪を犯していたではないか』ということである。

橋下徹市長の慰安婦問題に関する会見
http://blogos.com/article/63100/

『戦場の性の問題は、旧日本軍だけが抱えた問題ではありません。第二次世界大戦中のアメリカ軍、イギリス軍、フランス軍、ドイツ軍、旧ソ連軍その他の軍においても、そして朝鮮戦争やベトナム戦争における韓国軍においても、この問題は存在しました』『戦場において、世界各国の兵士が女性を性の対象として利用してきたことは厳然たる歴史的事実です。女性の人権を尊重する視点では公娼(こうしょう)、私娼(ししょう)、軍の関与の有無は関係ありません。性の対象として女性を利用する行為そのものが女性の尊厳を蹂躙する行為です。また、占領地や紛争地域における兵士による市民に対する強姦(ごうかん)が許されざる蛮行であることは言うまでもありません』と語ることで、橋下徹市長は『戦場の慰安婦や性犯罪の問題は日本だけに特有の女性の権利侵害ではなかったこと(外国も同じような女性の権利侵害を引き起こしてきたこと)』を示して、“慰安婦問題の一般化・相対化”を結果的に図る形となった。

もちろん、橋下市長は『誤解しないで頂きたいのは、旧日本兵の慰安婦問題を相対化しようとか、ましてや正当化しようという意図は毛頭ありません。他国の兵士がどうであろうとも、旧日本兵による女性の尊厳の蹂躙が決して許されるものではないことに変わりありません』という発言で、きちんと自分(日本)が責任転嫁するつもりはなく旧日本兵による女性の尊厳の蹂躙そのものは免責されないとエクスキューズしている。

だが、橋下市長の本意が『日本以外の戦勝国・諸外国だって戦争中には兵士の性的衝動・暴力による同じような過ちを犯してきたのだから、日本だけの問題にするのではなくて、みんなで反省しながら女性の権利侵害の根絶を考えていく必要があります』という訴えにあることは明らかである。