“マイルール(自分ルール)へのこだわり”と“他者・環境のコントロール願望”

自分だけにしか通用しない『マイルール(自分ルール)』へのこだわりが、『常同行動・強迫行為・パターン行動』のように病的なまでに過剰になると、アスペルガー障害・自閉症性障害などの『自閉症スペクトラム』に近づく。それは端的に『他者に対する無関心・自己中心の世界観』に行き着くことになり、他者とのコミュニケーション障害をもたらすことになる。

自閉症スペクトラム(自閉症的特性の連続体)は、『自己の内的世界に沈潜する度合い』の問題でもあり、自閉症と無関係な一般の人でも多少は『自分の内面に閉じこもる傾向(内向的な他者と距離を置いておきたい傾向)』を持っている。自閉症スペクトラムの度合いが強まるほどに、『他者を自己の障害(邪魔・刺激)と見なす認知』が強まり、『主観的なマイルール(こだわり行動)』に従った規則的なパターン行動を繰り返すことで安心感や制御感を感じやすくなる。

他人の気持ちを察することができず、共感・配慮・会話を全くしない(しようとしてもできない)というのであれば、コミュニケーション上の弊害があまりに大きくなるが、『マイルールのこだわり』と『出会いのチャンスの喪失』のバーターは、本人にとってはわざとマイルールを押し通すことで『自分と合わない相手(自分に合わせてくれない相手)』を無意識的に選別している可能性もあるだろう。

そういった選別はわがままといえばわがままであるが、自分だけのルールや常識・信念に必要以上にこだわって譲らない人というのは、基本的にわがままなのであり『他者からの干渉・影響』を最小限に抑えることで『関係・状況のコントロール感』を維持したいという人だと言うことができる。

想定外(サプライズ)の出来事に対応するのがストレスだったり、イレギュラーな相手の反応に苦痛・戸惑いを感じたりする人は、『予定調和的ないつも通りのお決まりのパターン』がないと落ち着かないし納得できない。

そのため、『いつもと違う行動をしてみたらいいことがあるかも(好きなタイプでなくても話してみたら気が合うかも)』というような確率論・行動主義の考え方にはどうしても賛成できず、『自分の好みの幅・選択できる行為の範囲』が非常に狭くなりがち(自分が初めから納得している相手や行動以外には全く興味が起こらず、話してみてから意見・好みを変えるということも少ないタイプ)なのである。

『相手から連絡してくるのが当たり前で自分からは連絡しない』というルールにこだわる人は、『自分から連絡したり誘ったりしてまでつなぎとめる人間関係』を初めから面倒くさくて長続きしないものと考えているか、『受け身のままでも相手が先導したり誘ってくれるお気楽な人間関係』でなければ別にいいやという無精な側面が強いのかもしれない。

『日曜日は自分だけの時間』というルールを譲らない人は、基本的に『自分の時間・予定・趣味』にそれほど好きでもない他者が参加してくることを歓迎しない向きが強いか、『事前のアポイント』を取ったお気に入りの人との予定通りの行動でないと時間を割きたくない(基本的に他人と過ごす時間の価値がそれほど高くなくて時間を浪費している感覚がある)という思いが強い人だろう。

意固地なまでのマイルールへのこだわりは、他者や環境を自分の思い通りに制御したいという『他者・環境のコントロール願望』と関係していることも多い。しかし、惰性・無精・面倒くささだけでマイルールに固執しているのであれば、『実際にやってみながらの行動修正・方向転換(食わず嫌い・やらず嫌いの回避)』を心がけたほうが得られるものは多いのではないかと思う。