日本を含む先進国の若年層の雇用情勢・給与水準は当面改善しづらいが、日本は『労働環境・ブラック企業』の問題もある。

20世紀の後半には、『日本・アメリカ・EU先進諸国』に生まれてそれなりに勉強をして能力に見合ったエスカレーター型の就職をするだけで、世界的にはトップレベルの所得と生活水準が保障されるという『先進国の黄金時代』だった。

だが21世紀のグローバル化とウェブ社会の本格化を受けて雲行きが変わり、BRICsやVISTAに代表されるかつての途上国・新興国の産業成長の追い上げが急激となり、先進国が製造業のコスト競争に敗れて、コモディティティな第二次産業の国内雇用(特別な技能・資格がなくても平均所得を得られる雇用)が外部に流出する流れを止められなくなった。

大企業社員・公務員など一部の既得権に守られた業界の雇用は現状でも長期的に保障されているように見えるが、大企業であれば『国際競争・生産拠点(本社機能)の移転・グローバル人材登用』のリスクがあり、公務員であれば『財政危機・公務員制度改革のソブリンリスク』があるため、いずれの雇用でも自己の汎用的スキル(その組織の外部でも通用する何らかの特技実績・技術・資格)がなければ『終身雇用の安心感』を持ちづらくなっている。

ゼネラリストからスペシャリストの時代へが本格化し、就職した会社・役所の社内(役所内)キャリアだけで管理職にまで上がった人でも、リストラや想定外の懲戒で梯子を外されると本当に『代替的な同水準の正規雇用』が見つかりづらくなり、非正規のアルバイト的な働き方しかできなくなる不安は大きい。中国やインドといった新興国が、自然科学の基礎知識と実用英語の習得を踏まえたサイエンス教育に熱心に取り組み、『特定分野のスペシャリスト(英語で専門技能を活用できるグローバル人材候補)』を輩出することを大学教育の実利的目的に据えている所以でもある。

日本は日本語という言語障壁によって、サービス産業をはじめとする国内市場の守りが強くなっているのだが、それと同時に日本以外の外国で働ける人材・チャンスを殆ど生み出せないという攻めの欠如も指摘される。日本経済が衰退して雇用がなくなれば、大多数の日本の若者はその厳しい運命を享受するしかないとも言えるが、EU加盟の南欧諸国の若年失業率が40~50%を超えてきている(二人に一人が失業していて長年仕事そのものをしていない)のを見れば、日本の若年失業率は労働統計に算入されていない『非求職型の失業者・無業者』を含めてもまだ低い水準にはある。

20~30代の若年層の自殺問題の背景には、『慢性的な正規雇用(特に大卒者の管理職候補のような何でも屋のホワイトカラー)の不足+ブラック企業的な労働条件の悪化』があり、雇用の量が減っている労働市場で、やっとのことで見つけた仕事でも労働条件の劣悪さなどに耐え兼ねて辞めざるを得なくなるという構造的な問題もある。

仕事や雇用形態を選ばなければ、『それなりの生活をする程度の収入を得られる仕事(派遣・アルバイト)』は確かにあるし、サービス業の時給1000円以下の求人は慢性的に人手不足に悩んではいる。かつては若者の定番だったファストフードやコンビニ、ファミレスのバイトなども、今では若い人の応募が大幅に減っており、中高年の女性・主婦層のアルバイトが増えているが、『次の転職に経験を生かせない仕事』が若年層に敬遠されやすくなっている。

年配の人は何でもいいからとにかく雇ってくれる仕事をすればいい、何も仕事をしないよりはいいのだからとりあえずバイトでもいいという意見を持っている人も多いのだが、『将来の仕事上の希望・人並みの人生設計』にこだわる若者にとっては、『その場凌ぎの生活費を稼ぐためだけの仕事』や『キャリアとして評価されない(スペシャリストとしての成長余地がない)仕事』を続けることそのものに不安があるというのは共感できるところでもある。

特に、大学をそれなりに卒業した若者の就職先というのが、今後、一番不足してくる雇用であり、入社させてから各部署に振り分けて人材教育していくという『新卒一括採用』の制度設計から漏れると、いわゆる職業上のキャリアを築く足がかりを見失いやすい。中途採用では初めから実績や結果をだせる技能が問われるので更に狭き門になるが、『雇用のボリューム』が最も大きく減ってくるホワイトカラー以外の仕事にも幅広く目を向けていったり、自分の何らかの専門性・技能を高める必要が強まる。