生活保護の政策的な減額に対する集団訴訟1:労働者層と生活保護層の境界線の揺らぎ

高所得者であるお笑い芸人の母親が生活保護を辞退せずに受給し続けていたというニュースが報道され、自民党の片山さつき議員らがTwitterなどで『生活保護不正受給者のバッシング・生活保護者増加(210万人以上)への財政的懸念の訴え』を始めた辺りから、労働者低層よりも不当に厚遇されている、保護水準が高くて働くのがバカらしくなるというロジックで生活保護受給者に対する風当たりが強くなった。

生活保護減額で集団提訴へ=「憲法違反」主張、支援者ら

一部のマスメディアの報道姿勢もあって、実際には1%未満である不正受給率であるにも関わらず、生活保護者の多くが本当は働けるのに働かないだけの不正受給者(あるいは反社会的勢力の絡む不正受給)であるというような誤解も広まりを見せ、約3.8兆円の予算規模が国家財政(将来の福祉政策の持続性)を逼迫しているという批判も多くなった。

1990年代までは、生活保護・貧困層に対する憐憫や軽視を伴う差別意識は残っていたものの、それは『自分は生活保護を受けたくないから頑張ろうという意識』に転換されることが多く、また現実的にも生活をあれこれ監視されながら生活保護を受け取るよりも(昔は仕事用の車も体調管理のためのクーラーも保有できなかった)、何らかの仕事を頑張ってしたほうが身入り(実収入)が良いことが自明であった。

『生活保護を受けている人のほうが恵まれているように見えるから(あくまで主観としてそう見えるであって本当に良い生活をしているかは甚だ疑問である)イライラする』や『自分はやりたくない仕事をしても少ない収入しか得られない。だから、働いていない生活保護者はもっと給付水準を引き下げられるべきだ』という感覚が広まっている背景には、『中流社会の崩壊・雇用環境と給与水準の悪化』がある。

ワーキングプアの増加(可処分所得の減少)や長期雇用の崩壊(安定感の喪失)、労働条件の悪化(ブラック企業による使役)などの要因によって、『働いて収入を得ることのメリット』を実感しづらい層が拡大しており、『いつ雇用と収入を失うか分からない不安』が労働者層と生活保護層の境界線を揺らがせることで、『自立的生活を営んでいるという自己肯定感』を保ちづらくなっているとも言える。

更に言えば、かつての労働者層には『真面目に働いていれば明日は今日よりも良くなり収入も増える・フルタイムの仕事をすれば家族を養うくらいは稼げる』という経済成長の恩恵への確信があったが、現在では『仮に経済成長をしても企業の経営者や資産家(投資家)、専門家などに収入増の恩恵があるだけで末端の自分にはあまり関係がない』という人も増えており、働いていてもその日暮らしに近いというワーキングプア層の問題も深刻になっている。

生活保護は『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない』という憲法25条が定める生存権(社会権)を具体化した制度であるが、この『生存権(社会権)』は憲法27条の定める『勤労の権利・義務』と同じくプログラム規定(努力目標規定・模範の基準設定)であり、無条件に保障・強制されるものではない。