“他者の評価・選別のまなざし”と“非難や嫌味ばかり言う相手”にどう対応するか:Self-Esteemの自己啓発3

他人に自分がどう思われているかに囚われ過ぎると、『自分が決めて楽しむ人生』を生きられず『他人が評価(規定)する人生』に埋没してしまうだろう。他人の意見や評価に真摯に耳を傾けることは大切なことだが、他人の言葉や態度をあたかも『自分が従うべき命令・指示』のように受け止めて、『自分のやりたいこと・考え方の自由度』の多くを投げ捨ててしまうことには慎重にありたい。

自分にとって本当に大切な相手あるいは自分のことを本当に思ってくれている相手であれば、その人の意見や注意、評価に最大限の敬意を払って内容をしっかりと聞くべきである。反対に、自分にとって本来どうでもいい相手、人生において重要な位置づけにあるわけでもない相手の、『自分を不愉快にさせるがための意見・批判・小言』などに真面目に付き合ってあれこれ思い悩む(相手から吹っかけてきたトラブルに巻き込まれて、自分のほうが相手の悪意を和らげようとして逆に気を遣ってしまう)のは時間と気力の無駄である。

大切な相手は、あなたの人生・時間・感情の大部分を恣意的に支配(操作)しようとする態度を取ることはなく人格・価値観に対しても相互的な尊重を期待することができる。悪意のある相手は、あなたの人生・時間・感情の大部分を恣意的に支配(操作)しようとする態度を取ることで、貴重な時間や精神力のリソースを奪っていく。

『他人を否定したり落胆させるための優越感ゲーム』に付き合うのはそれが好きな人以外にとっては有害無益だし、『他人の心理的問題』に取り組むカウンセリング的対応は、よほど自分にとって大事な相手でもない限りは(専門家として請け負っているのでもない限りは)あなたがやらなければならない仕事ではない。

意図的にわざと、相手を怒らせたり困らせたり落ち込ませたりすることばかり言っているような常に不愉快・不機嫌(意地悪)な人も稀にいるが、そういった人は自分自身でも解決が困難な心理的問題を抱えている事が多く、その苦しみや怒りの間接的な発散法としての優越感ゲーム(相手をやり込めるような会話)を求めているところがあり、付き合い続けるのは骨が折れる。

『他人の抱える心理的問題・優劣感情のコンプレックス』のために自分の感情や活動、人生を犠牲にしてまで攻撃的な人の相手をしなければならないこともないし、『抽象的な他人の評価・批判のまなざし』を勝手に気にして、自分のやりたいことをやめてしまう必要もないのである。しかし、社会的動物としての行動パターンを持つ人間は、時に『他人・集団・仕事のための人生』ばかりに追われて、『自分のための時間・行動や思考の自由度』を持てなくなり、精神的にかなり切迫した余裕のないイライラした状態に追い込まれることもある。

一日のうちのすべての時間を、他人・集団のためややらなければならないことのためだけに使い続ければ、『自由度・満足度を失った毎日のストレス』に上手く対処することが困難になるが、一日のうちの20分や40分くらいでも、何か自分が納得して楽しめる活動・趣味の時間を確保したほうが良いだろう。

自分の思い通りに相手が良くしてくれることを期待して、その期待が満たされないと激しい不満や傷つき(相手の冷たさ)を訴えるような人もいるが、どんな関係性や親密度があっても『すべて思い通りになるような他人』を前提にして行動すれば、自分も不満を抱くし相手にも大きなストレスを与えることになってしまう(あるいは不適切というか暗示的な主従関係・役割分担意識のようなものが形成される)。

人は自分を『他者から評価(選別)される弱い立場』に自動的に置いてしまいやすいものだ。そういった『受動的・防御的な立場(相手から言われたことや取られた態度を真に受けたりネガティブに解釈したりして迷ったり落ち込んだりする立場)』だけに留まっていると、『他人から好かれたい認められたいという思い』によって、逆に自信が持てなくなったり(狡猾な相手から付け込まれたり)人間関係のぎこちなさが際立ったりもする。

『他者からの評価・選別』が直接的に自分の人生や仕事、人間関係に影響を及ぼすケースではある程度気にして対処しなければならないが、『抽象的・想像的な他者(世間)』に振り回され過ぎることによって、失ってしまう時間や選択肢についても意識的でありたい。