非正規雇用の“5年ルール”と“日本の労働市場の非機能性”

戦後日本の企業・役所の雇用は、一部の日雇い的な労働形態を除いては『終身雇用・年功賃金』が前提とされていたが、それは『成長経済における固定費(人件費)』をどう配分するかという問題に過ぎなかった。派遣労働(非正規雇用)が拡大する2000年代より前は、アルバイト以外の非正規雇用を大量に雇うことは困難で、『固定費(人件費)削減の手法』そのものが大企業では特に限定的だったからである。

2018年、失業者を大量発生させる非正規労働契約の5年ルール

国際競争力の強化や雇用形態の多様化と選択などを理由にして、小泉‐竹中の市場原理の経済政策で派遣労働の規制緩和が行われた結果、『正規雇用と非正規雇用の不合理な格差(擬似的な身分制としての効果)』が問題視されるようになり、働く意志と正規雇用に近似の能力があっても『雇い止め(有期雇用契約)』に遭う派遣労働者が生活に困窮するなどの弊害がでてきた。

雇用形態の多様化や労働時間の選択性というのは、元々、学生・主婦(主夫)のように『働いても働かなくても生活に行き詰まらない状態(自分とは別の主な家計の担い手である配偶者や親がいる状態)』にある労働者の便宜を図る効果があるだけで、『絶対に働かなければ生活できない状態にある人』にとってはずっと同じ会社で働かなくても良いとか、短時間労働だけどいつ契約を打ち切られるか分からないというのはそれほど望ましい条件の変更ではなかったからである。

正規雇用には確かに『長時間労働・長期間の人生全体の拘束・仕事に求められる専門性の高さ』という非正規雇用よりもきつい条件が課されるケースもあり、そういった条件を嫌ってもっとマイペースで働きたいという人が敢えてフリーターや短時間労働(休日の多い仕事形態)を選ぶこともあるだろう。

だが、『絶対に働かなければ生活が成り立たない層・扶養しなければならない家族がいる人』では、そういった意識的なフリーター志向(給料が少なくても良いから仕事の時間・労力の負担をできるだけ抑えたいニーズ)は弱いはずで、『同じ職場』に留まって仕事を続けたいという人のほうが多いと見るのが合理的である。

『正規雇用と非正規雇用の仕事内容の差が小さい職場(お互いの立場や権限を交換してもその職務を現状のままにこなせるであろう職場)』では、『同一労働同一賃金(同一労働同一身分保障)』の政治的要求は必然に強まると予測されるが、既存の労働者の意識や労働組合の活動は『今既に働いている正規雇用を守る』というものなので、日本の労働市場は原則的には『能力主義』というよりは、初めに正規で採用されたか否かの『メンバーシップ型雇用』に傾いたものである。

有期契約でも5年以上働けば無期契約に切り替えなければならないという法規制の強化は、『5年未満での契約打ち切り』を増やすだけの結果に終わる可能性が高いが、日本の雇用形態による格差問題は『労働市場の規制緩和』が中途半端なレベルで終わったことで、競争原理の働き方や能力指標の客観化が限定的になっていることにもある。

『正規雇用の既得権と非正規雇用の選択権』が同一近似労働における待遇の格差によって合理化しづらい状態が放置されているが、『5年以上働けば無期契約になるという条件設定』も雇用のパイを能力ではなく在籍期間だけで奪い合う仕組みという意味では、『初期の雇用形態』で待遇が決まる現状の仕組みの弥縫策に過ぎないだろう。

企業が従業員の雇用や収入をどこまで保障すべきなのかは、『失業時の社会保障+職業訓練による転職可能性(労働市場の流動性と能力指標の明示)』と相関すべき問題だと思う。企業経営が傾かない限りはクビにしてはならないという過剰な雇用規制があれば、『少ない量の正規雇用の人材保護』に収斂していかざるを得ないかもしれない。

現時点における能力・スキル・経験と相関しない『雇用(従業員の人生)』を温情主義(ご恩と奉公)で守り続ける体力を持たなくなった企業が、自ら誰をどういった条件で雇うのかのできるだけ客観的で公正なものさしを示せるかが問われるが、『解雇になったら後がない(今と同じだけの条件で雇ってくれる会社がない)』という会社と従業員の運命共同体的な性格(職能スキルの会社依存性)がある限りは、短期間では変わることができない問題でもある。