宇多田ヒカルが藤圭子と楽曲に投影した“母親的なものの表象”と“守りたい(守られたい)欲求”

藤圭子さんが情緒不安定になって感情・気分の波が激しくなり、妄想・幻覚・興奮といった精神病的な症状に苦しめられ始めたのは、娘の宇多田ヒカルさんがまだ小さな頃からだった(具体的に何歳かは記されていないが)ということから、藤圭子の精神疾患あるいはパーソナリティ障害のエピソード(症状の履歴)は相当に長いということにはなる。

藤圭子さんは米国の心療内科での長期入院の経験があり、付添人がいてもなお自殺企図を起こしたことからもその精神疾患の程度は重く、あるいは重症うつ病のような抑うつ感・希死念慮・厭世感が慢性的に生じていた可能性がある。

『家族との長期的なコミュニケーションの断絶』が耐えがたい孤独感・疎外感につながっているというような本人の述懐もあったようだが、元夫の話などでは家族といる時にも精神的に不安定になることが多く、家族としても『どういう風に接して上げれば良いのか分からない・ネガティブな感情や興奮に自分も巻き込まれてしまって苦しい』という事情があったのかもしれない。

少なくとも宇多田ヒカルさんが思春期に入る以前の時期には、健康な心身の状態にあって自分を見守って支えてくれるような『母親としての藤圭子』は機能しづらくなっていたのではないかと推測される。

宇多田ヒカル(以下敬称略)は相当早い時期から『母親への甘え・保護の欲求』を諦めて、自分のほうが母親よりもしっかりしなければならない、音楽の世界で成功して母を喜ばせたいという自立心を強めざるを得なかったと思われるが、その一方で自分もまた『母親的な安定した寛容な存在』に抱きしめられていたいという思いはあっただろう。

彼女の楽曲の歌詞にも、『早熟な背伸びした女性の恋愛(精神的自立に対する焦り)』や『母性的な揺らがずに全てを受け容れる存在(博愛・受容・見守り)への憧れ』、『世界や他者の不幸・苦痛を等しく癒したいとする母親的なまなざし』、『当たり前の日常生活に対する感謝や認識の転換』などを読み取れるものがある。

そこには、自分と母親との現実の関係性に足りないもの(求めようにも求められなかったもの)を、歌の物語性と表象力によって補おうとする試みがあったのかもしれないが、藤圭子自身もまた早くから自立(地方回りの営業)を迫られた子供時代の生い立ちからくる『母親的な愛情・関心・保護の欠落感』という寂しさや苦しみを抱え続けていた側面があったのだろうか。

おそらく、藤圭子自身も母親に思いっきり甘えたり、両親に見守られて自由に遊び学ぶという子供らしい子供時代を過ごしたという記憶は少なかったのではないかと思う。こういった『広義のアダルトチルドレン』と呼べるような部分のある成育歴が、『芸能人のプライベートな生活・心理』に影を投げかける事例は、日本だけではなく欧米の芸能界にも少なからずある。

子供時代に母親との関係から『対象恒常性(内面にあって自分を常に支え続ける表象)』が上手く作れないために、慢性的な見捨てられ不安や承認欲求、孤独感、空虚感に悩みやすくなったりもするが、『母性的な関係と成育環境の縮小(家族関係の保護機能から距離を置いた子供の自分は守られていないという感覚)』は現代社会というか現代の家族・労働環境の一つの問題ではあるだろう。

宇多田ヒカルは藤圭子に対して、『現実の不安定で気持ちが弱っている母親イメージ(それでも愛すべき対象としてのイメージ)』と『理想化された安定感・才能のある魅力的な母親イメージ(精神が健康であればこうであったに違いないイメージ)』を投影していたように感じる。

前者の母親の実際の像は今まで表に出して話すことが殆どなかったと思うが、後者は折に触れて自分が創った楽曲の歌詞・メロディにもそれとなく反映されているだろう。

そこには『自分が母親や他者を優しく守りたい欲求=現時点からのベクトル』と『自分が母親や他者から優しく守られたい欲求=過去に戻されるような反動』の立場を互換する葛藤もあるが、それは母親の藤圭子も持ち続けていた葛藤(子供をもっと分かりやすい形で愛して上げたいのに精神状態がそれについてこないというもどかしさ)だったのではないだろうか。

人間の精神状態の異常には、成育歴のトラウマや日々のストレスといった心理社会的要因だけでなく、中枢神経系の伝達障害や器質的な弱さといった生物学的要因も深く関係するので、精神疾患の本当の原因が何なのかは分からないが、『母親(子供)を想っているのにどうしようもできない葛藤』の中に含まれる愛情・心配・感謝などがお互いには伝わっていたと思いたい。