“そこそこに働けるような仕事(丸一日がつぶれない仕事)”は昔から競争倍率は高かった。産業構造の転換とワークスタイル

そこそこに働ける仕事には、『勤務時間(拘束時間)が短い定時の仕事』と『仕事内容が難しくない仕事』という二つの意味が含意されている。

記事にそこそこに働ける職種として『事務職』が挙げられているが、事務職をはじめとするかつての一般職カテゴリー(おおむね定時に帰宅可能な正規雇用枠)は、『現在』だけではなく『昔』も相当に人気のある職種であり、そこそこ志向(ハードワークをしたくない志向)は今のワークライフ・バランスの時代に始まった話でもない。

新しい働き方「そこそこ派」、実現させる3つの質問

固定給が高いわけでもない事務員の募集数2名に対して、50~100名以上が応募してくるなどはザラであり、大卒・院卒(総合職脱落組等)のオーバースペックな人材が簡単にふるい落とされていたりもする。そこそこ派の選抜基準は『能力の相対差』ではないので、学歴・資格・知性(インテリジェントな受け答え)などで優れているからといって必ずしも採用されるとは限らず、面接での人柄・履歴の好印象や職場にスムーズに順応できそうな感じがほぼ全てである。

オーバースペックで賢しらな人材は逆に敬遠されるので、かつて行政職の公務員試験で大卒者が高卒として学歴を偽るような事案も起こっていて、『そこそこ派』を目指すために敢えて自分の能力の上限(できることの範囲・知的関心の水準)を低く見せる人も多い。

一定以上の能力・知識があっても長時間働くのはきついとか人生を仕事だけに追われたくないという人は、今も昔も大勢いるわけだが、それ以前の仕事で長時間勤務になりがちな『営業職(特に飛び込み営業・テレアポ系)・企画職』などを経験して、自分にはフルタイムのハードワーク(明確な数字としての成果を要求される仕事)は精神的・体力的に無理だと思っている人も多いだろう。

早期離職者の多くが、仕事内容の不満以上に人間関係のストレスや勤務時間の長さ(拘束時間の曖昧さ)を理由にして辞めることからもそういった『そこそこ派の志向性』は読み取れるが、問題は製造業からサービス業への産業構造の転換によってそこそこというか定時労働で稼げる金額がかなり下がってきているということだろう。

製造業の生産性と比較すれば、サービス業の生産性は格段に劣るため、かつて高卒の大手製造業(鉄鋼・自動車・造船など)の正社員(三交代勤務などはあっても定時に帰りやすい仕事)でも年収500万以上は稼げていたような状況が、現在のサービス業(店舗運営業)の会社では利益率が低いために再現することが殆ど不可能になっている。

しかし現在でも、コンビニやスーパーの接客のバイトなどよりも、トヨタや新日鉄住金のような製造業の派遣労働のほうが給料は高く(期間工でも時給換算では1500~2000円以上はありこの給与はレジ打ちなどでは貰えない)、特別なキャリア・専門職・公務員などでなければ、製造業の生産性(給料になる労働分配率)はサービス業よりも高い傾向がある。

そのために、『製造業の衰退・海外移転』が世界の先進国で共通の問題となっているのだが、製造業というのは平均的な能力・体力がある人材にとっては、最も効率的に稼ぎやすい業界、分厚い中流層を生み出せる業界ではあったのだろう(もちろん現代の若い人たちが仕事としての興味や面白さを感じにくい業界になりつつあるという事情も考慮しなければならないが)。

現状、先進国では学卒後に専門学校などで勉強して何らかの資格を取ったり業界での経験を積んだりしても、1980年代頃までの重厚長大な製造業が高卒の正規労働者に与えてきた年収400~500万円以上の待遇を安定的に掴むことは容易ではなくなっている。

近年は、定時できっちり終わらせられるマニュアル化可能な仕事(決められた事だけをしたり、一定時間の範囲で店舗内での業務をしたりなど)が、派遣労働やアルバイト、パートに置き換えられる流れも強まっており、『長時間労働ではない・特別に難しかったり強いストレスがあるわけではない』という条件のそこそこ働ける仕事の正規雇用は相当に狭い門になっている。

一般的に『事務職・店舗での接客業・非営業職・バックヤード職・軽作業職(過酷でない部門の工場内労働)』などが、定時帰宅を前提とするそこそこ派に向いている職業領域になるが、『職能の実用的な専門性・業務独占の資格の有無』によっても職業選択の基準は大きく変わってくる。

それまで地道に積み上げてきた知識や技術、経験を活かせる分野・職種があるのであれば、『そこそこ派』よりも『専門職・専門分野志向』になりがちであり、よほど実務・労働条件が肌に合わないというのでもなければ、時間と労力をかけて取得した資格を活かせるような仕事を探すだろう。

夫婦共働きが増えて性別役割分担が過去のものになりつつあること、仕事以外に時間をかけて取り組みたい活動や趣味、勉強などが増えたこと(仕事だけで丸一日が費やされて他のことが何もできないようなライフスタイルを嫌い始めたこと)なども、『そこそこ派』を増やす要因になっているだろう。
そこそこ派はフリーター志向とも親和するが、日本の雇用形態や企業の要請では『そこそこに働ける仕組み』は整っていないので、特別な専門性や職能、営業力を持っていない限りは、正規雇用の多くは『会社側の提示する拘束の度合いが強い働き方』に横並びで従うしかないということになるだろう。

夫婦(家族全員)が共に丸一日の時間を使い切るハードワークに従事して、バテバテになって帰ってくる日々を繰り返していれば、『家庭・子育ての空洞化(会話や遊びの乏しい寝るためだけの場所化)』は回避することができず、どちらかが正社員でもバイトでも『そこそこ派』の余裕を持たないと、家庭の持つ回復・ケア・子育ての機能性は低下しやすく、『お金では上手く解決できない心理的問題(相手の時間や感情、家族参加を求めるような交流欲求の阻害)』で潰れるリスクも生まれる。

『天職と呼べるほどの仕事・仕事内容そのものに強い関心を持てる仕事』に巡り会えなければ、『生活費・養育費+αくらいの所得水準』があればくたくたに疲れ切るような仕事をしたくないというのは自然な心情でもある。

一方、『面白さ・社会貢献・上達感・フィードバックの感動などを味わえる仕事』に自発的に向き合える人(研究開発職・クリエーター職・技術者や作家などに多いタイプ)というのは、仕事と趣味との境界線が揺らいでいるという意味では最も幸せな人生を送れる可能性があるが、残念ながら世の中の仕事の現実は『やりたいこと・興味関心の徹底追求』などではなく『生活のための仕事・収入(毎日の生活・育児・保険などに必要なだけの金額がその仕事で得られるかどうか)』がまず差し迫った要請にならざるを得ない。