高校生の8割以上がスマホを所有する現代のウェブ社会。『リアルとウェブの融合度』『コミュニケーション可能範囲(情報収集範囲)の拡大』にどう適応するか。

現代のネット社会においてスマホは必需品とまでは言えないが、モバイルでネットにアクセスしたり、ゲームや各種アプリを活用しやすい情報端末としては優れている。スマホの代わりにノートパソコンやタブレットでも良いという意見もあるが、ノートパソコンはどちらかといえばOfficeやメールなどを活用するビジネス用途に向いており、出先で気軽にウェブにアクセスする端末としては不向きである。

高校生の8割超がスマホ所有 1年間で30ポイント増

タブレットはスマホのように単体で通信する機能を備えていない事が多く、WiFiルーターやテザリングを介してネットに接続しなければならないので、意外に手間がかかるのが難点だ。

スマホの欠点は毎月のパケット定額制の通信費が嵩むことであるが、別のWiFiルーターなどが不要で、スマホ単体で即座にネットにアクセスしたりアプリのプッシュ型配信を使えるというのは便利だろう。スマホでしか使いにくいアプリやゲームというのも多くある。

高校生の8割以上がスマホを所有しているというのは、最新のデバイスやテクノロジーに対して若い世代ほど好奇心・所有欲が強くて、新しい技術・用途・遊びに適応しやすいことを考えれば所有率が上がっていくのは必然でもあるだろう。

かつてはファミコン(プレステ,Wii)だとかゲームボーイだとかのゲーム端末が子供に急速に普及したが、ウェブの世界や用途はそれとは比較にならなほどに広く多様であり、有用性や面白さと同時にリスクも潜在してはいる。だから、高校生くらいの年代までは、親の教育方針やリスク対策で『子供にスマートフォンを持たせない』という判断をするのは悪いことではないが、社会や時代の趨勢としての『ウェブ社会化(ウェブを介した情報・仕事・会話・つながりの拡大)』というのは止めたくても止めようがないアーキテクチャ(人為的な技術)の普及として進むだろう。

情報端末を通じてつながるウェブの世界や仕組みは、『消費者に終わらない知識・技術・用途のフィールド』にも開かれているので、スマホやネットとの付き合い方によって広義の個人間の格差はますます広がっていくと予測される。

好むと好まざるとに関わらず、『リアル社会とウェブ社会の融合度』『ウェブを介したコミュニケーションや情報収集の頻度』『ウェブの技術・知識・開発・人間関係に関連した雇用やインフルエンス(影響力)の需要』は高まることはあれど低くなることは想定しづらい。そのため、ウェブやスマホ(情報端末)のリテラシーを学び取って活用していく機会を、子供時代に全く得られないというのも別種の問題や不利につながる恐れはあり、ウェブから隔離された物理的世界だけで生きていくことのハードルは高くなる。

ITインフラや情報端末、ネットコミュニケーション(SNS)、金融・投資・仮想通貨などを介したウェブ社会化が進展する現代では、『リアル社会で過ごす時間・目的(モノ・身体の世界)』と『ウェブ社会で過ごす時間・目的(文字・映像・精神の世界)』とを適切に使い分けたり、双方の世界での活動・関係を融合させたりするリテラシーと自己管理能力が問われる場面が増えてくる。

スマホにせよタブレットにせよ、そういったリアルとも連結性のあるもう一つのウェブの世界にアクセスするための媒体に過ぎないが、ウェブ社会で他人を傷つけるような間違った言動や書き込みをすることは、少し前のバイトテロ(悪ふざけ投稿)や掲示板での殺害予告、ストーカーやリベンジポルノなどのように『リアル社会での自分の人生・信用・仕事・人間関係』に取り返しのつかないダメージを蒙ることにもなる。

ウェブはユルゲン・ハーバーマスの哲学からの類推から『新たな公共圏』と言われることもある。スマホやタブレットの端末を介してアクセスする新たな公共圏では、プライベートなコミュニケーションや遊び方も多くあるが、パブリック(公民)としてのリテラシー(読み書き能力)やエートス(倫理的な行動様式)が問われることも多い。

高校生・中学生がウェブにアクセスすることを否定的に評価する傾向は強いが、ゲームやLINE、SNSばかりに非生産的にのめり込む(他のことが手につかないほどにのめり込む)のは、そういった分野の開発者になれるような知識・技術を身につけているのでもない限り、時間的リソースの無駄遣いではある。

その一方で、『私的な人間関係・活動性』と『公的な人間関係・活動性』の区別がつけられるような教育・経験を積んでいくことの重要性はますます高まっていく、『相互作用し合うリアルとウェブの世界での適切な振る舞い方』を身につけることは、21世紀をこれから生きていこうとする人たちには不可避な現実原則であり、リアルとウェブが融合する領域が広がる時代における最低水準のソーシャル・スキルでもあるからである。