STAP細胞問題:“研究不正・STAP細胞の有無”を巡る理研と小保方晴子氏との対立

理化学研究所の調査委員会は、STAP細胞研究の調査結果について『実験データ及び実験画像の改竄・捏造が行われた研究不正に当たる』と認め、これらの一連の研究不正は小保方晴子ユニットリーダーが単独で行ったものだと指弾し、組織全体の責任は間接的なものに留まるとの見方を示した。

小保方氏本人の論文の書き方の間違いや研究者としての倫理観の甘さなどの問題はあったが、理研は小保方氏個人を切り捨てることで組織防衛の姿勢を明確にするような会見を行ったことになる。関係者の処分は後日に発表されるようだが、懲戒処分は解雇を含んだかなり厳しい処置になると思われる。

STAP細胞:理研「研究不正は小保方氏単独で」

小保方氏本人が『STAP細胞の作製に成功したという事実に不正はない』と主張していることから、泥沼の法廷闘争に持ち込まれる恐れもあるが、『研究・実験の結果の正しさ』があっても『正しさを立証するための手順・方法・証拠』に大きな落ち度があれば、科学者としての信用・名誉は保たれづらいものにはなる。

小保方晴子氏は“リケジョの星・女子力のある研究者”などと偶像化して一般受けする広告塔のように持ち上げられ、本人の落ち度・不正の問題はあったが、高みから一気に突き落とすような形でメディア報道や所属組織の対応が急転換した。理研や上司、共同研究者にも『発表の前段階における論文の構成・実験の手順・データのチェック』にまつわる間接的な責任はあると思われるが、理研としては小保方氏個人による研究不正ということで幕引きを図りたいのだろう。

小保方氏が若い女性研究者として異常に持ち上げられた背景には、理研や文科省の予算獲得競争が影響しているとも言われ、『再生医療・万能細胞研究の分野におけるイニシアチブ(山中伸弥教授のiPS細胞研究を凌駕する万能細胞作製と予算獲得の圧力)』を巡って理研がフライング気味に論文発表を焦った経緯もあるようだ。

理研調査委から研究不正を行ったと批判された小保方晴子氏は、相当に不利な厳しい立場に立たされてはいるが、『不正とされた2点は、理化学研究所の規定で研究不正の対象外となる悪意のない間違いである・STAP細胞の発見自体は捏造ではない』という主旨で反論を行っている。

『DNAの電気泳動画像の切り張り』と『過去の博士論文の別の実験画像のネイチャー論文への流用』という指摘された2点の研究不正は、STAP細胞の作製の事実とは本質的な関係のない単純ミスであるというのが小保方氏側の言い分であるが、この言い分を科学的主張として通すためには、『第三者の科学者・研究機関によるSTAP細胞作製の追試(小保方氏が詳細な作製マニュアルを公開し、そのマニュアルに従ったSTAP細胞の作製を第三者が成し遂げること)』が成功しなければならない。

STAP細胞問題の本質は『STAP細胞の実在性の有無』にあるはずだが、メディア報道や一般の関心としては『小保方さん個人の研究不正・世論的評価』のほうに興味が向けられやすく、政治のショー化ではないが“科学のショー化”としての側面も強い。

自然科学の難解な研究内容よりも、どんな属性や容姿を持つ研究者がその研究を成し遂げたのか、あるいは許されない不正行為をしたのかどのような意図を持っていたのかなどが、世間一般のゴシップ的な関心事になりやすいのは今も昔も変わらない。

日本では特に音楽や芸術、スポーツなどの分野においても、『作品・演奏・競技そのものの評価』以上に『どんな容姿や属性の人が作っている(歌っている・プレイしている)のか』のほうに興味関心が集まりやすいし、Jポップなどは容姿・外見・セクシャリティのアイドル的な人気がないと殆ど音楽が売れなくなっている。各分野のプロフェッショナルとしての能力や実績、技術は大切ではあるのだが、日本ではそれに追加される『美人・格好良い・可愛い』といった外見的魅力の付加価値が諸外国以上に大きなものとして認識されやすく、実力だけで外見的な華やかさが皆無な人は(その分野での第一人者であっても)それほど世間の人気・注目が集まりにくい。

理研が小保方氏を殊更に持ち上げた背景にも、『一般受けする属性・特徴を持った珍しいタイプの女性研究者のプッシュ』の要因があったことは想像に難くないが、自然科学や学問の世界までショー化やゴシップ化が浸透していくことは、科学の目的である『科学的真理の探求・仮説理論の実証主義的な検証』とは全く関係のないところに、人々の意識や興味が向けられてしまうという副作用・悪影響も小さくないだろう。