映画『キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー』の感想

総合評価 87点/100点

『アベンジャー』シリーズの最新作で、キャプテン・アメリカが第二次世界大戦中に死亡したはずの親友のバッキー(ウィンター・ソルジャー)と予期せぬ再会をして戦うことになる。ナチスドイツ(作中ではハイドラ)の残党のマッドサイエンティスト、冷戦時代の旧ソ連の人体改造実験など、アメリカがナチスドイツやソ連と対立していた歴史の遺恨が現代にまで波及しているような作品の構造を持つ。

第二次世界大戦後から現代まで冷凍保存されていたキャプテン・アメリカ(血清によって改造された超人兵士)であるスティーブ・ロジャースは、『アメリカの歴史性・戦史・勇気』を生身で体現して経験している象徴(第二次世界大戦の生ける伝説)のような存在として設定されている。

見ようによってはアメリカの愛国心喚起のプロパガンダ性のある映画でもあるが、アメリカ人から見たアメリカ人が好みそうな正義・勇気・歴史観のあり方の類型に『自己犠牲・献身性・忍耐性・防衛のための攻撃』が含まれている辺りは、アメリカだけではない日本や他の国にも通じる普遍性が織り込まれている。

キャプテン・アメリカは、星条旗の星印を模したヴィブラニウム(架空の破壊不可能な金属)の盾を武器としているが、超人的な能力は『一般人の能力+α』といった程度で相当に強いが完全に無敵な兵士ではなく、時に打ち負かされたり時に死にかけたりもする。

盾だけを持って白兵戦を中心にして戦うキャプテンは、攻撃専用の銃器や刀剣を持たないことによって、『アメリカの防衛性・大義名分』をイデオロギカル(宣伝戦略的)にほのめかしているとも言える。どんなにやられても耐えて立ち上がるというある種の不屈の精神論・根性論に立脚しているが、キャプテン・アメリカ自身も何が正義なのか自分の能力を何のために使うべきなのかに葛藤する存在である。

キャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャース(クリス・エヴァンス)と元ロシアのスパイで抜群の射撃術・格闘能力を持つブラック・ウィドウことナターシャ・ロマノフ(スカーレット・ヨハンソン)がコンビを組み、ニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)が長官を務めるS.H.I.E.L.D.(シールド)の防衛システムを守るため、シールドの組織に入り込んだハイドラの勢力と戦う。

あらゆる攻撃・異常事態から身を守るための機能が搭載された特別装甲車に乗るニック長官が、ハイドラの襲撃部隊から終わりのないような猛攻撃を受け続けるシーン、特注の防弾ガラスの耐久性の限界が段階的に打ち破られる場面が、アクション映画としてはかなりの見所になっている。

ハリウッド映画は、『エンド・オブ・ホワイトハウス』や『ホワイトハウス・ダウン』といった作品もそうだが、『難攻不落の要塞や拠点・鉄壁の防御装備のある装甲車』などが集中的な猛攻撃を受けて陥落するプロセスを描くのがかなり得意で、ようやく危機をくぐり抜けたと思われる時点で『最後の追加の一撃』を加えてくる。

50年以上の時間を超えた冷凍保存から目覚めたキャプテン・アメリカは、既に寿命を終えようとしているかつての恋人と再会し、自分だけが時代の生き証人のように生き続けなければならない運命を自覚している。

『冷凍から醒めた現代での彼女や友達はいないの?』とからかって質問してきたブラック・ウィドウに対して、『私の友達は既にみんないなくなってしまった』と寂しそうに語るキャプテンだったが、かつて第二次大戦で生死を共にして秘密作戦に従事した勇敢な親友のバッキーが、人体改造を施された暗殺者ウィンター・ソルジャーとなり、キャプテン暗殺の任務を受けて現れる。

ランニング中に知り合った元空挺部隊(落下傘部隊)の退役軍人ファルコンことサム・ウィルソンも、ウィング・パックの装備で空中攻撃を仕掛けられる新たなキャラクターとして参加している。