政務調査費の不正疑惑追及に応えきれず号泣、兵庫県の野々村竜太郎県議

号泣県議 奇異な言動は昔から

兵庫県の野々村竜太郎県議の市職員(地方公務員)からのキャリアを見ると、市長選・地方議員選に繰り返し出馬するなど、とにかく政治家になりたいという願いが非常に強かった人物であることは分かるが、『政治権力の使い道・政治とカネの認識』と『政治家としての資質・適性』の上で問題を抱えていたようだ。

話題になっている記者会見での号泣の場面は、インターネットの動画サイトやニュースサイトを瞬時に駆け巡り、国際社会の晒し者になるような形で醜態が広まった。

日本の政治家のレベルの低さを今までとは異なる角度で知らしめたが、『会計管理の杜撰さ(公金の私物化)・ストレス耐性の低さ・情緒不安定で衝動的な性格・逃避的(泣き落とし的)な問題解決の模索』など、地方議員としての職責を果たすには不適切な点が多すぎる。

日本の政治的社会的な諸問題を真剣に考えている『政治家』というよりは、ひたすら泣き喚いて質疑応答の文脈を拡散させ誤魔化そうとする『お笑い芸人』のようなスタンスで、海外の視聴者からも認識されているみたいである。

そもそも『政務調査費の不正流用の露見』以上に『感情暴走による人間性の崩壊・冷静な対話が不能なパーソナリティ(一般的な社会生活及び討議場面に適応不能な支離滅裂な人物)』と見られる方が政治家としてのダメージは明らかに大きい。

しかもあれだけ無意味に泣き喚いておきながら、本題である『使途不明金を何に使ったのか?本当に温泉街に政治的調査のために100回以上も日帰りで行っているのか(誰もあなたの姿を見たという温泉協会などの関係者が出てこないのだがどこに誰に会いに行ったのか?)』という証明の要求については、『少子化問題が深刻な西宮・日本で政治家として必死に頑張っているのだから、瑣末なカネのことなどで自分を責めないでくれ、政治の大義があるのだから見て見ぬふりをしてくれたらいいじゃないか』といいたがっているような身勝手な回答しかしていない。

約600万円の使途曖昧な政務調査費・政務活動費について記者から追及されているにも関わらず、『政治家として日本の社会問題を解決しようとしている自分の目的・努力・重要性』に鑑みれば、お金の使い道の細目・領収書などの証拠は重要な問題ではないのだという持論を展開して泣き喚くばかりでは、政治家としての最低限の遵法精神・責任意識に瑕疵があると見なされる。

政治とカネの結びつき、政治家の放漫財政や公金のポケットマネー感覚は昔からあるといえばあると思うが、そういった政治家としてのふてぶてしい金銭感覚を真似たい、公金で私的な目的もついでに満たすようなグレーゾーンの金銭出納のテクニックを用いるなら、泣き叫んで無様な醜態を晒して同情を得ようとするのではなく、政治家らしい厚顔無恥な態度を貫いてペナルティを受けるべきだろう。

『正確な記憶がございません。事務所や秘書に一任しています。法律に基づいて粛々と対応します。後日、関係する書類や領収書がないか調査をしてみて、何かあればまたご報告します。次のスケジュールがありますので、今日はここまでとさせて頂きます』など、政治家特有の無責任な煙にまく論法で席を立って知らぬ存ぜぬを突き通したほうが、同じ『議員辞職の結末』を迎えるにしてもまだ印象はマシ(というか、ここまで世界中から笑いものにされるような状況だけは回避できる)だったかもしれない。

明らかに説明不可能なおかしな公金の支出をしているのだから、記者から細かな項目についての具体的な証明・理由・使い道を求められて、まともに応えようとすればしどろもどろになってしまう(実際に本当のことを言えないような杜撰なお金の使い方をしていて、合理的に説明可能な領収書や関係者との面会履歴などの下準備もやっていないのだから応えようがない)のは避けられない。

大半の政治家なら『まともに応えず黙秘・すっとぼけ続ける(記憶障害の偽装)・退席する逃避の戦略』を取るのだろうが、ある意味では野々村竜太郎議員は生真面目さ(清く正しい人物として見られたい思い)と小さなズルさ・気弱さ(他の議員もやっていそうなちょっとした経費流用は自分もやっておかないと損)が混在した人なのだろう。