国民・政治家の世代交代の進展、『終戦記念日(不戦の誓い)』の緩やかな変質:米国の戦勝に寄りかかる東アジア諸国の歴史認識とコンプレックス

戦後日本の平和を支えてきたものとして、日本国憲法(9条の平和主義)と日米同盟、米ソ冷戦構造(核抑止力)、経済大国化(暮らしの豊かさの上昇)があるが、それにも増して『日本の重武装・9条改正・右翼性・戦争参加』を抑止してきたのは、『アジア太平洋戦争(大東亜戦争)で家族の死傷・飢餓と貧窮・不自由と国家権力(軍)の横暴を実際に経験してきた人たち』であった。

終戦記念日:69回目の夏、平和誓う 武道館で追悼式

軍隊生活の理不尽な上下関係、兵站を無視した行軍・現地調達の過酷さ、ジャングルや島嶼での伝染病の苦しさ、飢え死にするほどのひもじさ、庶民(部下)を見捨てて戦後に責任逃れをする卑劣な戦争指導者や上官(教員)への怨嗟、権力や軍部からの強制と隣近所の相互監視、嘘で塗り固めていた大本営発表と戦地の現実など……それまで戦争の大義名分・利益強調と天皇崇拝の国民教育(非国民として非難される恐怖)によって目隠しされていた『戦争の本質・大衆の本音・庶民の犠牲』が敗戦によって溢れ出てきた結果が、もう戦争はこりごりだという戦争放棄(国民を徴発して無謀な戦争を遂行した国家権力への不信)であった。

それまで、日本人や大和民族、天皇の赤子(臣民)として『仮想的な一体感・忠君報国の義務』を持つとされてきたが、『日本の政治家・軍部・官僚・財界の上層部』は戦時中にも飢餓や貧困、戦死(戦地での餓死病死)と無縁だった者も多く、無謀で危険な作戦を計画立案した将校がのうのうと生き延びていたりした(戦争末期の現場からかろうじて逃げ出していたりした)。

この現実を見た庶民・兵卒の中には、『同じ日本人(一君万民)という一体感』は実際には幻想であり、無位無官の力を持たない日本人に危険な仕事を愛国心(臣民としての誇り)を理由にして押し付けていたのではないか、政治指導者をはじめとする上層部は『庶民の生命・権利』を軽視していただけではなく、交換可能な部品のように武器・食糧もない戦地に無意味な兵員投入を繰り返したのではないかという不信・憤慨でもあった。

大日本帝国の総力戦の敗戦は『約310万人の日本人の犠牲+国土の焦土化・日本人の貧苦』をもたらし、アメリカ・連合国軍が主導した東京裁判は『国民の犠牲を削減するための外交的・戦略的努力を怠った戦争指導者の罪・責任』を強調することで、一般の日本国民の戦争責任を形式的に赦免したのである。

昭和天皇も同時に戦争犯罪を免責されたが、国体思想や日本人の臣民性(天皇への従属性)というのは理屈を越えた強さがあり、戦勝国アメリカといえど天皇を処罰した上で国体を根本から改変することの至難を悟っていた。

大東亜戦争終結の詔勅(玉音放送)の冒頭、『朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、茲(ここ)に忠良なる爾臣民に告ぐ』という君主が臣民を労わるように言葉を掛けた呼びかけこそが、日本人の武装放棄、終戦の受容を決定的なものにしたとする『敗北をだきしめて 第二次大戦後の日本人』を書いたジョン・ダワーのような見方もあるほどである。

昭和天皇の玉音放送では日本国が戦争に負けた、天皇制の国体が揺らいだという表現は一切使われておらず、『日本民族の滅亡』と『人類文明の崩壊』を回避するために、戦争を敢えて継続せずポツダム宣言を受諾することに決めたと語り、世界の大勢・進運に逆らわず日本民族の持てる力のすべてを未来への建設に傾けなければならないとしている。

天皇は国民の忠良な働きと犠牲を慰労する時に『汝臣民(なんじしんみん)』と呼びかけ、国民の新たな政治課題(戦争など)への挑戦を鼓舞する時には『汝有衆(なんじゆうしゅう)』と呼んで使い分けていたが、1945年8月当時はよほど特別な思想信条を持っている国民を除き、『天皇との主従関係(政府・軍・上官の権限の究極的根拠とされる上下関係)』が自然なものとして受容されていた。

戦争末期で犠牲・忍耐の限界に達しようとしていた国民にとって、天皇の汝臣民の呼びかけは『天皇陛下は他の戦争指導者とは異なる国民への慈愛・思いやりを持っている』という認識につながり、天皇(善人)とその側近の政治家・軍人(奸臣たる悪人)を道徳的に切断する作用をもたらしたのである。

大日本帝国の時代にも、最近の集団的自衛権や防衛予算の増額に見られる『軍事力が強ければ強いほど(国民の国防意識が強ければ強いほど)国家は豊かになり栄える』という価値観を持つ軍人・国民はいたが、結果として軍拡路線・対決外交(力の論理)・全体主義(大政翼賛)は、『大日本帝国の決定的な破滅・無数の犠牲』をもたらすことになった。

現代で軍事力強化や国防意識、愛国心を過度に強調する国といえば、中国・北朝鮮・イスラエル・一部のアラブ国などの強面の新興国・途上国が想起されるが、特に共産国家では『国防委員長(国防委員会)』といった肩書きを持つ者(組織)が、国家の最高権力を握って、『仮想敵国の脅威・主権侵害の恐れ』を大義名分にして人民の生命・身体・労働力までを支配する独裁を敷いていることが多い。

終戦記念日の度に再確認されてきた『不戦の誓い・戦争の放棄・戦争の悲惨さ』とは何だったのか。大東亜戦争を直接に体験して飢えと貧窮(物不足)を味わった人たち、軍に従軍して外地で大勢の戦友を失った世代が続々と鬼籍に入り消えようとしている現代では、体感的に理解することが難しくなっている。

戦争ができない国だから舐められて挑発されたり領土・国益が損なわれたりする(平和を守るためには自国の軍事力強化や米国と連携した海外派兵が必要だ)という意見は、冷戦下の日本経済が右肩上がりで成長を続け、日本人がエコノミック・アニマルと揶揄されていた時代にはほとんど聞くことがなかった。

だが『経済競争での日本の圧倒的優位』が失われ始めた頃から、戦争・防衛(軍事)の分野におけるプレゼンスや影響力のほうを重視する意見が目立ち始め、それまで『戦後日本の復興・豊かさ・平和主義・自由』を賞賛していた空気もシフトして、『戦後日本の道徳的堕落・自虐史観・平和ボケ・わがまま』を非難する復古主義的な価値観も語られ始めた。

終戦から70年近い歳月が流れ、世界有数の経済大国になっていったんは『敗戦(対欧米)のトラウマ』を克服したかに見えた日本だが、経済力・軍事力・発言力で力をつけてきた中国や韓国との対抗意識を刺激されるようになると、再び『敗戦国としての自己定義(加害者性)の古傷』がうずくことが増え、最近は日本経済の不況や個人レベルの雇用・所得の悪化(将来の不透明性)で『経済大国・豊かな日本人であるという鎮痛剤』も不足してきた。

『歴史的・物語的な正義性』を巡る論争で、日本は大日本帝国時代の戦争犯罪や非人道的行為を『従軍慰安婦・南京虐殺』を題材にして非難されることが増えたが、当事者の多くが亡くなって世代交代が進んでいるのに『終わりのない謝罪・加害者としての立場』を強制されているようで納得がいかないという若い年代層も増えてきた。

中国・韓国が歴史認識の対立を過度に政治利用して、日本の『敗戦国としての自己定義の古傷』をいたずらに抉った反動だが、日本人の認識としては『アメリカ(せいぜいイギリス)に対する敗北』は認めざるを得ないとしても、『中国・朝鮮に対する敗北』はアメリカに負けた太平洋戦争の結果からついでに演繹された形式上のものに過ぎないという反発もある。

それは、日中戦争は確かに泥沼化したが日米戦争がなければ、満州国や大陸の拠点から日本人が追い出されることはあっても日本本土を侵略されて中国に負ける危険まではなかった。あるいは、朝鮮半島が独力で抗日武装闘争をして独立することは不可能だったし、日韓併合を憎悪していない朝鮮人も少なからずいたはずだといった言い分(朝鮮人を二級市民扱いする人種差別そのものは戦前から歴然としてあったとは思うが)である。

アメリカの日本に対する完膚なきまでの戦勝の過去に乗じた中韓の『戦勝国のようなポジション・道徳的に優位にいるかのような態度』に納得がいかない、日本を実際以上に悪い過去を持つ国のように言っている疑惑が強いといったことが根底にある。その結果、『歴史的・物語的な正義性』を取り戻したいという日本のナショナルな感情が目立ちやすくなっており、戦後日本の平和主義国家としての道のり・実績が、中国や韓国、北朝鮮に通用しないことのもどかしさを募らせている格好である。

中国・韓国がなぜ執拗に日本の古傷を抉って、戦時中の戦争犯罪や加害者性を国際社会に対してアピールするのかということの理由も、『中国・韓国が自国だけでは大日本帝国の侵略・併合に抵抗しきれなかった(日本軍を追い出したり民族自決の独立を勝ち取れなかった)という歴史的現実やその劣等感』に根ざしたものである。

『中韓が日本に直接勝った戦勝国のようなスタンス・物言い』をしたり、『大日本帝国の戦争犯罪・非人道性の強調』をしたりするのは、中国人や韓国人が自力で日本軍を破って国土を守り独立を成し遂げたという『(史実で裏付けることができない)民族の物語的な正義・強さ』にこだわっていることの反動でもある。

結局、日本・中国・韓国の歴史認識の対立の論争やその根拠が虚しいことの原因は、『圧倒的なスーパーパワーだったアメリカの戦勝(アメリカには敵わないけれど~)』を軸にしているとしか思えないところなのだろう。

自分たちのほうが強かった正しかった、アメリカには負けたがお前たちに屈服したわけではない、アメリカがいなくても俺たちは自分でやれたんだというような『当時の鬱屈・敗北感・屈辱』を、同じような外見をしたアジア人の内部でいじましく吐露し合って優劣を争っている。

それに対して違う外見をしたアメリカ人(歴史対立や劣等感の根本原因を作った側)の代表者が『まあまあ、過去に固執して争わずに話し合って仲良くやりなさい』と仲裁に入りながらも、日本と中国の外交関係が接近し過ぎては困るという本音は隠し、対中国を意識させるような集団的自衛権を日本に提案してくる。

東アジア諸国が歴史対立を解消して協調・連帯しはじめて一番困るのは、北東アジアにおける軍事的プレゼンスだけでなく在日米軍の必要性の根拠も失いかねない米国であるが……。

日本人が終戦記念日に『平和主義・不戦の誓い』をいつまで再確認し続けられるかは、『権力と個人の関係の理解』『積極的平和主義の実践が、どういった種類の具体的な国際貢献を求めてくるのか』にかかっているとも言えるし、『過去のアメリカの戦勝を起点とする日中韓の優劣感情のねじれ』にかかっているとも言えるが、より本質的には『過去の戦争の教訓を個別の国の正しさや悪さだけに単純に還元してしまわないこと=戦争そのものの悪性(一般庶民にとって不利益しかないこと)や権力による人間の道具化を嫌う教育・価値観の普及』が大切である。