嫉妬感情や被害妄想によるクレーム:自分で自分の人生や人間関係を楽しくなるようにする(腐らないようにする)のは半ば義務でもある

若い女性店員が結婚指輪をしているかどうかを気にするのは、その女性が気になる男くらいではないかとも思うのだが、女性でも同性の指輪の有無を気にして、更にそれを口に出して言う人もいるものなのか。反対に、男性で知らない同性の指輪の有無を気にする人は余りいないのではないかと思うが。

「年下の店員が結婚指輪するのは不快。外させろ」 このクレームは理不尽なのか?

嫉妬感情からくるクレーマーということになるだろうが、嫉妬の感じ方や表現の仕方が珍しいタイプではあるだろう。

通常、嫉妬感情というのは見ず知らずの他人や自分とかけ離れた立場の相手に対しては抱きにくいもので、『身近な友人知人・自分の比較対象として意識される相手』などに抱きやすいものだが、『過度の孤独感・疎外感』がプライドを捨てさせるような攻撃性(八つ当たり)を生み出すケースというのは少なからずある。

その場で事務的にレジのやり取りをする同性の相手が指輪をしていようがいまいが普通は気にならないものだがそれが気になって仕方がない、言えば自分が惨めになるだけなのに一言いわずにいられないというのは、よほど結婚(既婚者)に対する憧れ・劣等感が強いかそれが上手くいかなかったことの裏返しであるが、この相談が実話だとすればかなり精神的に追い込まれているとも言える。

ネット上では『リア充爆発しろ』というような台詞もあるが、実際に言葉にして不満・嫉妬を言う人はいなくても、自分があまり満たされていない孤独な時に『他人が幸せそうに見える状態・カップルが仲良くしている所に居合わせること』が精神的につらい、面白くないと感じる人は少なからずいるだろうとは思う。

しかし、そういった面白くない感じを、相手にわかるような形で伝える人はまずいないというか、言えば自分の不幸や惨めさが一層際立って余計につらくて自己嫌悪に陥るだけということになるだろう。

自分の人生を自分で楽しくするということは、社会を恨まず他人と調和していくための半ば義務でもあるし、結婚に限らず『男女関係・色恋沙汰』というものも人生のスパイスや憂き世の癒しとして多少はあったほうがいいとは言える。男として女として性的に承認されることは、自己評価の高まりや活動への意欲にもつながるからだが、それが過剰になると不倫・浮気にもなるので注意が必要だろう。

こういった理不尽なクレームや自尊心をかなぐり捨てた因縁をつけてくる人というのは、『自分だけが明るい場所や楽しい事柄、幸せな時間から取り残されているような認識』が非常に強くなっていたり、ある種の病的な被害妄想(人生・男女関係がうまくいかない自分は低く見られているというような被害妄想)に襲われている可能性もある。

この記事につけられている日記・コメントの中には、クレームの内容を非難するだけではなく、クレームをつけた女性を更にバカにして傷つけてやればいいというような意見もあるのだが、自分のプライドや恥よりも『孤独・寂しさ・取り残され感』が強まっている人を更に傷つけても、余計に性格がねじれたり反社会的な性格傾向を強めるだけで何のメリットもない。

一方で、既婚者の側が未婚者を羨ましく思うことも少なからずあるのであり、結婚生活というのは『遊び・性愛・娯楽』といった浮ついた楽しいだけの付き合いがメインではないのだから、本来は『あの人は楽しんでいる』というように嫉妬されるようなものではなく、リアルな相互扶助の生活をしている(その中にもほっとする楽しみ・安心がある)イメージのほうが強いだろう。

既婚者でパートをしている人でも、子供や生活費のために家事と一緒に休む暇もなく仕事を頑張っている人もいるし、同じアルバイト先でちょっと仲良くなった男性がいて、帰りに少しお茶するだけでも不倫を疑われかねないなど面倒な行動の制約も増える。

不倫までしないとしても、既婚者だからといって他の異性がいいなと思わなくなる人ばかりではないし、相手に異性としての興味関心を失ってしまう比率は日本ではかなり高い。

脱線じみた与太話になるが、今あっているドラマ『昼顔』のような不倫・三角関係のドロドロな関係は、主婦が見る昼ドラマの定番のようなものだが、実際にできないとしても潜在的にはそういった関係に興味関心がある、異性としてもう一花咲かせたいというような内的な衝動(このまま淡々と平穏に人生が終わるのは安心だけど惜しい・芸能人に仮託する妄想的な恋愛衝動)は少なからずあるのだろう。

若くて結婚しているということは、若くして一人の相手と生活にがっちり拘束されている(周囲の同世代の人たちのような自由が効かなくなったし、子供ができれば途中でその人生設計をやめられなくなった)とも言えるわけで、仮に10代で結婚している人がいるとして、それを羨ましいと思う人ばかりでもなく、それぞれの楽しみもあれば悩みもあるというのが現実ではある。