御嶽山噴火が起こした悲惨な状況と仲間関係:登山遭難時の極限状況における救助活動の限界

ここまで大規模な登山の遭難事故は戦後では初めて。1902年に厳冬期の八甲田山で起きた無謀な日本陸軍の行進訓練事故(199名死亡)はあるが、活火山の噴火時に一般登山者が大勢いた状況自体も過去に前歴がない。

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この御嶽山の噴火はまだマグマ流出を伴わない『水蒸気爆発』による噴火だった為、大勢の登山者が生きて下山することができた。マグマ(溶岩)と火砕流を大量に流出する型の噴火だと、映像を撮影した人や山頂付近の山小屋に避難した人も助からなかった可能性が高い。マグマ噴火だと噴煙と一緒に来る熱気が数百度以上に達するので、そういった熱気を浴びてしまうと助かることが難しい。

登山の遭難事故では一緒に登った同行者が大怪我をしたり意識を消失したりした場合にどうするかの厳しい判断を迫られやすいが、火山噴火は『厳冬期の遭難や気象遭難・道迷い』以上に判断の時間がない。女性3名パーティーは9合目で噴石が直撃した友人に応急措置をして暫く留まり励ました、やるべき事以上の事をやったと思う。

一定以上の大きさがある噴石が、時速数十キロ以上で人体に直撃した場合、頭部なら即死か意識消失の重症、手足なら運が良くても骨折を免れない。いずれにしても膝を複雑骨折した場合、自力の下山はどうやっても不可能で、激痛に耐えられず身体を動かせないだろう。

噴火・降灰が続く危険な状況では各自の判断と自己責任で動くしかないし、結果として仲間を助けられないとしてもそれは責められるべきことでもないし(自己批判すべきことでもないし)、お互いにどうしようもない極限状況ではそうなることを了解していると考えるべきだとも思う。

男性3名パーティーでも一人を救助することが出来なかったが、頭部に火山弾が直撃して動けなくなったとあり、火山灰から身体を持ち上げられたとしても生存できていたかは分からない。いずれのパーティーでも友人としては後悔や悲嘆の残る結果になったが、親御さんが語るように自分を責めすぎないようにして欲しいと願う。