一方的好意に基づく身勝手な理由による男子大学生の女子大生刺殺事件(埼玉県入間市)

容疑者は『誰でも良かった・たまたま被害者の女性を見かけた・女性なら反抗されないと思った』などと被害者と無関係であるように装っていたが、実際にはコンビニで働く被害者に好意を寄せていて面識もあったようだ。凶器も一週間前に購入、犯行前にコンビニの防犯カメラに長く映っている等、通り魔ではなく女子大生を標的とした計画的犯行だろう。

<女子大生刺殺>容疑者の部屋に「死」や「人体」の複数の本

被害者の女子大生と食事をしたとかいう情報もあるようだが、常識的にはコンビニで見かけて一目惚れした容疑者が、接客業の愛想の良さ(女子大生の社交的な性格・サービス精神等含め)を自分への個人的好意と勘違いしてアプローチし、交際を拒否された事を逆恨みしたと推測される。

好きになった女性が思い通りにならなければストーカー行為や殺害をするというのは、自己中心的なストーカー気質、他者への共感がない反社会的パーソナリティーだが、端的には『人を好きになる資格がない・初めから人と関わるべきではない人間性』である。被害者が好きなのではなく自分が好きなだけ(他者のモノ化)である。

相手が自分との交際を拒否すれば恨んで暴れる、挙句に殺すというのは、恋愛に限らずあらゆる人間関係に適応できない気質だが、インドやパキスタン、アフガンなど『男性の求愛・求婚を断ることが命懸け(殺人・アシドアタック)』という国もあるが女性蔑視を前提する独占欲・名誉心の強い原始的な男性心理が時に犯罪を生む。

近代社会では恋愛や性は双方の自由意思と合意のみによって成り立つ。『自分の魅力・誘い・自己プレゼン』が相手の心に届かず合意が得られなければ、潔く諦めるしかない。お互いの人格・権利を尊重する絶対的ルールであり、それを守る気がない、相手の自由意思・選択権を認めないなら、初めから関わるべきではないだろう。

しかし、執念深いストーカーや逆恨みする相手に不意打ちで狙われた人が、身を守る手段は思いつきにくい。殺す気で来られたら男でもやられる。怨恨があっても殺人は許されないが、顔見知り程度で深い付き合いでもないのに、数十ヶ所も刃物で刺すという加害者の狂気的な被害妄想・一方的な屈辱感や恨みは異様で恐ろしい。