アメリカの軍事外交と日本の自民党政治が志向する『グローバリズム+ネオリベラリズム』は自国民に何をもたらすか?

ブッシュJr.政権時代のアメリカは9.11の米国同時多発テロに対する報復措置としてアルカイダのウサマ・ビンラディンを匿ったという理由で『アフガン戦争(2001年)』を断行し、客観的証拠の無いまま大量破壊兵器(化学・生物兵器)を保有しているという疑惑でフセイン政権を転覆させる『イラク戦争(2003~2010年)』を強行した。

アフガン戦争もイラク戦争も広義の『テロとの戦い』を大義名分として戦われたが、独裁者の圧政とイスラム原理主義の狂信を排除して欧米先進国の基本統治理念(人権思想・自由民主主義)を教え込むという『アメリカの上から目線の占領統治政策』は概ね失敗に終わった。

『イラクの自由作戦』と銘打たれた戦後の占領統治作戦は、アメリカの持てる軍事力と経済力、兵員の生命・健康を甚大に消耗疲弊させたが、アメリカがイラクの国家と人民をマリキ政権の下で革命的に転換させようとした試みはことごとく徒労に終わり、戦争開始から10年以上が経過した現在でもイラク国内の情勢は自爆テロが繰り返されるなど極めて不穏で危険な状態が続いている。

米軍は石油利権の市場開放を行って石油メジャーと外国人投資家を喜ばせはしたが、中途半端な戦後処理によってイラクの内政と経済はガタガタとなり、反米感情の高まりとテロリズムの続発を放置したまま米軍は撤退せざるを得なかった。

結局、アフガンのタリバン(イスラム過激派)もイラクの反米武装勢力(アルカイダ残党・新派閥)も一掃されることはなく、戦争以前よりも反米勢力・テロ組織の活動が活発化してもはや収拾がつかない。更にイラクとシリアのイスラム国(ISIS)という『反欧米主義・シャリーア遵守のイスラム過激派集団』が拡大傾向を示して、『中東全域の民主化・近代化・市場開放・武装組織排除』という欧米の悲願は打ち砕かれつつある。

アメリカはテロとの戦い(米国の自衛権発動)以外にも、『自由民主主義の輸出(独裁政権・宗教原理主義からの人民の解放)』と『経済的自由の拡大(人民の権利・生活水準の底上げ)』という先進国を基準とする価値観外交を戦争行為とリンクさせていた。

アフガンやイラクの人民を独裁的支配・宗教的束縛から解放するという意味合いの自由・夜明けだとか解放だとかの『作戦名』が連呼されたが、アメリカの戦争と戦後処理の矛盾は『アフガン・イラクの民生部門の改革や福利厚生の充実』といった内政には一切干渉しなかったことにもある。

『労働者の権利・社会保障』についても独裁政権時代の制限や規制を踏襲して、その国の政権・国民の自分たちが解決すべき課題であり、米国は国民の権利拡大を強制できないとしてイラク人民・労働者の生活保障の責任は新政権に丸投げしてしまった。

その一方で、イラクの油田の投資機会を外国人投資家(機関投資家)に開放したり、イラク国内の公的部門の業務を民営化してコストカットしたりといった『経済活動の自由化(米国企業・投資家のメリットになる内政干渉)』についてはやたら積極的に行っており、アメリカの超国籍企業や金融資本、大手投資家のための戦後処理といった矛盾も見せた。

アメリカの9.11以後の戦争とブッシュ政権の政策は、『テロとの戦争(国家安全保障の危機)』をひたすら強調することによって、アメリカの伝統的政治理念である『自由主義・個人主義・プライバシー権』の有効範囲を縮小させ、『安全保障のための国民の権利制限・政権批判の抑圧』を行い、その背後で『グローバリズムやネオリベラリズムの市場原理・国際金融資本の拡大強化(一般労働者の平均賃金の下落傾向・社会保障の縮小)』を実現していった。

共和党政権の国家安全保障とグローバル経済(金融資本の効率性)のリンケージは、日本の自民党政権(安倍政権)の国家安全保障とグローバル経済(金融資本の効率性)のリンケージとも重なる部分がある。

こういった政策群に共通するのは『超国籍企業の優位性と投資の拡大(企業の稼得力の強化とグローバル展開の支援)』であり、『国民の自由(権利)と抗議(デモ)を安全保障名目で制限する警察国家化』であるため、グローバリゼーションの結果として、投資機会やポータブルな技能(グローバル適応度)のない大多数の国民の生活水準は現在よりも下がっていくだろう。

今までと同じような働き方・学び方と企業規模に応じた雇用・所得の保障によって、数十年単位の中流階層に準じられる生活水準が保証されるという近代国家内部の経済・雇用の基本ルールが大きく刷新される波、それがグローバリゼーションとネオリベラリズムであり、アメリカや日本、英国が牽引する国際経済環境での『グローバル・ガバナンス(新たな金融・市場・労働力の統治)の恩恵』に預かられる自国民はごくごく一握りの特権的な人たちである。

企業活動が国民国家の枠組みを超えていくグローバリゼーション、市場原理の需給と資本蓄積の効果によって効率的配分を行おうとするネオリベラリズムは、確かに資本と労働力のパフォーマンスをマクロな数値として最大化していき、グローバル市場でモノやサービスを売れる大企業は『史上最高益』をたたき出して株価も上がるだろう。

だが、今までとは異なる経済活動のルールと資源配分(給与配分)の比率が適用されるため、新たなグローバル・ルールに適応できない先進国の大多数の人たちの給与・生活・保障の水準は下がっていき、同じ国家で生活する人たちの格差は更に大きくなる。

近代国家や国内企業が『自国民の雇用・給与・生活の保障』を最優先するというルールの変更を迫られ、『資本と権限と能力のある僅かな者への配分を高めていく』のがグローバリゼーションと市場原理主義の基本的性格であり、グローバル市場で儲かれば儲かるほどに企業とそこで働く人の国籍は次第に薄れていく。

だが、アメリカや日本の政権は、『国家安全保障の危機の演出・愛国心の扇動=警察国家・軍事費増大+国民の権利制限』を行いながら、『企業最優先のグローバリゼーション・ネオリベラリズムの推進=自国民の労働力をコストとみなしてマクロな数字上の経済成長と企業利益を至上命題にする)』も行うという矛盾した動きを見せている。

それは、国民の雇用や所得に対する不満・政権批判を『外国の干渉・安全保障問題・テロの脅威・外国人労働者(移民政策)』などに向け変えられるという矛盾した政策の効果でもあるのだが……『国家安全保障の軍事強化,愛国心・忠誠心の教育,公共の利益のための個人の権利制限(国やみんなのために自分を犠牲にする精神性の必要)』を説いている政党自らが、『企業の優遇を原則として自国民を優先しないグローバリゼーション・ネオリベラリズム・移民政策・軍事強化(経済的徴兵)・格差拡大策』を推進しようとしているのは、グローバル経済や大企業の最高益・株価高騰からの恩恵がない国民にとっては一方的な自己犠牲を強要されるだけの結果になるだろう。

一部のグローバル・ガバナンスの関与者や国際金融資本が、自国民を忠誠心のある労働力や愛国者として道具化するシュールかつ傲慢な構図に、乗っかりすぎないように注意することも大切だと思わされる。