現代における女性の結婚・出産・育児の欲求と母性神話の限界:消費社会・自己愛の時代に子を持つという決断

女性の母性本能は、妊娠中・産後の性ホルモン分泌など部分的に生理的裏づけを持つが、『出産・育児』を自然に自動化するほどの影響力はない。昔は『共同体・世間の同調圧力と性別役割』が母性と混同された。

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昭和期までは『男性の仕事と扶養・女性の家事育児(出産)』は、個人単位でそれをするかしないか選択するものではなく、家・社会・世間から『当然の義務・性別役割』としてお膳立てされるもの。それに逆らう選択をした人に対する差別・偏見(数の圧力)は強く、よほど能力・信念でもないと選択肢はあるようでなかった。

結婚して子供を産むのが女の幸せかどうかは、出産したその人の覚悟と自分から子供への関心のシフト、人生観に拠るが、人は『自分が下した重要な選択・決断』に一貫性と責任を求めるので、過半の人は『子供を産んだ経験・子供がいる現実』を肯定的なもの、幸せの要因として認める事になる。認めなければ自己否定となる。

人間が不幸・不遇を愚痴り自らの現状を否定する時は、『自分が自発的に選択・決断したという主体性』が失われている時だ。結婚なら『相手がしつこいから結婚して上げた』、出産なら『夫(親)がどうしても欲しいというから無理して産んだ』の認知があれば、よほど順調な展開に恵まれなければ責任転嫁の不幸に陥りやすい。

現代の30~40代に当たる団塊チルドレン世代の少子化・未婚晩婚化の影響要因として、50~60代の親世代が『自分から自発的・主体的に選択したわけではない結婚・出産を世間体や常識から余儀なくされたこと=故に子供世代の結婚・出産への圧力も弱まったこと』もあるかも。熟年離婚、老後の解放欲求など個人化の現象も。

一方、女性の出産・子供は『人生の有限性・出産可能年齢の制約』とも関係し、男性も含めた形で、自分が死ねば何も残らないという『実存的な不安の緩和』と『愛する異性とのエロスや人生設計の陶酔』で子供が求められる事もある。子供を持ちたい思いが自然な感覚として認識される可能性が、現代の諸条件で小さくなっている。

精神分析家の小此木啓吾が『寿命の延長・情報の氾濫・娯楽の増大・社会規範の衰退』によって、現代の個人は他人・社会から何かを強制されずにできるだけ自由に自分の満足や理想を追求する『自己愛人間』となると批判的に予兆したが、現代の子供は自己愛(自己保存願望)と他者奉仕(子の人生の支援監護)のミックスだろう。