草彅剛のドラマ『銭の戦争』の感想とお嬢様・お坊ちゃんらしさを感じる要因

ドラマ『銭の戦争』で、転落した草彅が元カノでお嬢様の木村文乃に『俺の洗練された上流階級ぶった態度は金の余裕に立ったものに過ぎなかった』的な台詞があったが、真の育ちの良さは『所与の経済力・家の後見』を失っても尚残るものなのかもしれない。

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このドラマ、経済社会の世間体・見栄・階層を生きる人間の俗物性や本音をあぶり出すような場面が多々あって、だいぶ前の松山ケンイチの『銭ゲバ』に似た面白さと考えさせられる要所がある。東大卒・外資金融から転落した草剛と高校中退・銭ゲバ闇金の渡部篤郎のコンビで、高学歴+富裕層の集いに押しかける場面も秀逸で面白かった。

お嬢様やお坊ちゃんの生まれ育ちの良さを賞賛する文脈が示唆するのは、『一代のカネでは買えない何か』を上流階級は持っているという神話的権威である。『カネを持った者が勝ち』という成金的な俗物を卑下し撥ね付ける装置として『お嬢様・サラブレッド』の概念は機能する。日本には天皇と閨閥の権威という特殊装置もある。

カネでは買えないものという観念は、『歴史的・血統的(閨閥的)・教養的・学歴的な履歴と権威』に後ろで支えられたものだが、その表層的な態度・言語・知性・礼儀作法として『いわゆるお嬢様らしい・庶民とは異なる上流階層性』がある。格式・序列が異なるとする貴種崇拝は、他を突き放したい人間の理想や憧憬の投影かも。

福田康夫元首相も日本の政財界の歴史的権威のある閨閥に連なる家柄で、東大を主席卒業した秀才だが、『あなたとは違うんです(元々の格・レベルが違う)』というフレーズを本人の口から言われると、逆に育ちの良さや知性の高さが霞んでしまうから、人間性の徳・格を見る人間心理もセンシティブなものではあるのだが…。