中川郁子農林水産政務官の路上キス問題か…公人としての意識欠如、中高年の恋愛問題の露見。

中川郁子氏は有力閣僚だった中川昭一氏(故人)の元妻で、政権を構成する公人としての立場がある中年女性だから、既婚者の同僚議員(門博文衆院議員)との『路上キス』がスキャンダルとしておもしろおかしく報じられるが、現代日本では珍しくない風景ではある。

昭和期までと比較すると現代の40~60代の男女の多くは、既婚者にせよ未婚者にせよ、異性愛の部分で枯れ切ってしまう人の割合が落ちていて、性的にも機会と能力(身体的にせよ経済的・立場的にせよ)があれば新たな相手を見つけたいという人が少なくないのだろう。

外見やファッションにしても、それなりに気を遣っている人が増えて、実年齢よりは若く見える人も多くなったが、『アンチエイジングの追求』は『他者から求められる恋愛・性愛の欲求』ともどこかでつながりやすい。

完全に女・男を捨てている人は、体型も顔貌も服装も会話スタイルもそれなりに枯れたものになっていきやすいが、人生の長寿化や不倫・死別の増加などによって『人生の前半期で決定した異性関係』だけを固守してそのまま枯れて終わることへの納得感が薄らぎやすい世相にもなっている。

中年期以降の恋愛・再婚、熟年離婚・第三の人生、高齢期の婚活・恋愛など、『婚姻制度の一回性・宿命性との角逐』としての社会現象が増加し、それに伴う開放感や充実感を満喫する人もいる一方で、さまざまな恋愛トラブル(金銭トラブル)や孤独感、不遇感、社会的信用の失墜をかこつような人も増えているだろう。

若年層の草食化が言われる一方で、中年どころか高齢者の不倫・恋愛(嫉妬)トラブルは増大の一途を辿っているとされるが、未亡人の中川郁子氏は自分は配偶者と死別していてフリーな立場なのだから、未婚者の相手とであれば恋愛関係を結んでも法的な問題はなかった。

だが、政治家・公職者(政務官)の公人としての立場を勘案すれば『不倫関係や人前でのキス・女としての自分の押し出し』というのは公的意識や責任感覚に欠けた女性と見られてマイナスイメージにしかならない。夫が死去していても子供もいるため、公人・家族としての一定の自制が世間から求められやすいこともある。

特に自民党は保守主義の政党であり、『伝統的で禁欲的な婚姻観・夫婦観』を維持しなければならないというイデオロギーに立脚しているので、自民党に属する議員・政務官が自ら不倫行為を率先して行い、公衆(有権者)に目撃される可能性のある路上でキスするというのは意識の欠如や無用心さの現れである。

民主党のいう『巨大与党のおごり』というよりは『女性意識と公職者の自覚との区別の曖昧さ』の問題だろう。

むしろ、自民党的な婚姻観やジェンダーであれば、女性は夫と死別してもなお他の男と関係を持たない操を貫くべきだくらいの勢いがありそうなものだが、保守のイデオロギーと議員個人の行動・道徳観の乖離(自己矛盾)はおなじみのものではある。

離婚率の高い欧米社会(特に北欧)においても『生活・家族(子育て)のための意識や必要』と『異性愛の感情の変化』が離婚原因になることは多く、複数の子供がいて父親と母親が同じではない親子関係の複雑化が精神発達上・相続上の問題になっている。

長寿化社会における男女関係のあり方はどちらかに配偶者がいる場合の不貞行為を除いても、『離婚・死別・性欲・金銭目当て・嫉妬・孤独・ストーカー』などでより複雑な様相を呈する恐れは強い。

そもそも配偶者という概念自体にも、『子を残すために配偶子(精子・卵子)を持ち寄るパートナー』といった意味合いがあり、子を産んで育てた後のパートナーを配偶者と呼ぶことの意味論的な適切性の問題もある。

『人間的な尊敬・情愛』と『異性愛的な魅力・誘引』というのは、それを不倫・不貞として実際の行動に移すか移さないかの相手への思いやりや道徳観念の違いはあれど、大半の機会・能力がある人だと中長期的には二つの要因はずれてくる。

『死が二人を分かつまでの付き合い・永続的な絆』といった情緒的・思想的な側面を、禁欲的かつ行為的に異性愛と結び付けられ続けられる人は幸せであるが(幸せというかトラブルや道徳的非難を回避できるが)、日本では約6割が結婚後5年程度でセックスレスになることから、人間・家族としての尊敬や情愛と性的な興味関心の分離は半ば前提的なものになっている。

かつては40代以上にもなれば、大半の人が社会的空間においては男や女を捨てるもの(夫婦関係・家庭生活の中に完全に囲い込まれるもの)と見なされていて、昭和期までの30~40代の人の写真などを見ると、髪型・ファッションの違いもあるが現代の男女よりもかなり大人びて(老けて)見え、実際に男・女としての感情や行動に流れる暇もなく生きるために懸命であった。

中高年期以降の『婚姻制度・家族制度の固定的関係の縛り』と『制度外の私的あるいは選択的な関係の誘惑』との葛藤や角逐は、中川郁子氏のような女性としての公的職業キャリアの上位に位置するような機会・能力のある女性にとっては、公職者としての地位・世評との関わりの上で『鬼門・陥穽』になりやすい。

40~50代の年代だと自分がフリーでも、恋愛相手として期待される年の近い男の大半が既婚者なので余計に難しいが、もっと年を取って60代後半~70代くらいになれば死別で独り身になる人も増えて、社会的な目線も余り注がれなくなるのでもっと自由に振る舞えるかもしれないが、そこまで老いらくの恋になると身体的・健康的な状態が付いてこない人も出てくるだろう。

まぁ、あまりあれもこれもと欲張らずほどほどにして、公職者としての地位・立場がある時には私人・男女の欲求は抑制して職務に専念すべきとしか言いようがないが、権力・財力・地位を掌握する人ほどプライベートな部分でも妙に年齢不相応にエネルギッシュだったりはする……。