映画『トゥモローランド』の感想

総合評価 87点/100点

科学技術と発明が大好きだった天才少年のフランク・ウォーカーは、万国博覧会で知り合った不思議な少女アテナ(ラフィー・キャシディ)に魅了されて惚れてしまう。アテナに案内された『トゥモローランド』という近未来的な異次元世界(パラレルワールド)は、少年発明家のフランクの想像を遥かに超えたような夢のロボット・人工知能や機械技術文明の装置で溢れていた。

いつも大好きなアテナと一緒に過ごしていたフランクだったが、フランクがいくら成長してもアテナは出会った頃の姿のまま全く変わらず、その顔の表情に自然な笑顔が浮かぶことはなかった。好きなアテナの笑顔を見たいと思って、フランクはあの手この手で一生懸命にアテナを笑わせようとしたが、遂に彼女は笑顔を見せてくれることはなかった。

更に成長したフランクは、アテナが自分と同じ人間ではないという絶望的な事実に気づかざるを得ず、フランクの才能を活用し尽くしたトゥモローランドは、アテナの正体に気づいたフランクを追放した。

中年になったフランク・ウォーカー(ジョージ・クルーニー)は、最愛のアテナに騙されて裏切られたという思いから要塞化した自宅にひきこもっており、アテナが高度な人工知能を搭載したヒューマノイドであるという事実を知ったことで、自分の少年時代からの人生のすべては無意味なものだったという虚しさに落ち込んでいた。

父親が携わっていたNASAのロケット事業が終わり、ロケット発射台の解体工事が進められていたのだが、宇宙や科学が大好きなギークの女子高生ケイシー・ニュートン(ブリット・ロバートソン)はせっかく作った発射台を解体してしまうことが許せずにドローンを使って不正に解体工事を妨害していた。威力業務妨害の罪で逮捕されたケイシーだったが、留置所に預けていた私物の中に不思議なピンバッジ(Tマークのトゥモローバッジ)が紛れ込んでおり、そのバッジに触れると見たこともない綺麗な黄金の草原地帯に知覚が移動することに気づく。

ピンバッジは夢の国であるトゥモローランドに移動するためのパスポートのような役割を果たすものだった。ケイシーはピンバッジの秘密を探る中で、人間になりすましたロボットが店番をする店で銃撃戦に巻き込まれ、助けに来てくれたロボットの美少女アテナと知り合うことになる。

アテナは、パラレルワールドで人工知能(スーパーコンピューター)が決定事項として予測した『人類滅亡のカウントダウン』を制止するため、ケイシーにどうにかしてフランクと会って協力するように仕向けて欲しいと告げる。

夢の国トゥモローランドでは、人類よりも遥かに高度な知性と計算能力を獲得した人工知能とロボット群が独自の文明世界を構築するようになっている。『人類世界の未来における滅亡』を精確なシミュレーションで繰り返し予測した人工知能は、自分たちを創造した人類の滅亡を回避できるようにと、何度も必要な処方箋・警告を与え続けてきたのだが、人類は決してその警告・アドバイスを受け容れずに自ら滅亡のカウントダウンを早めるばかりであった。

人類を滅亡へと追いやる膨大無数な要因には、“戦争紛争・核兵器・人口爆発・地球温暖化・異常気象・環境汚染・資源枯渇・食糧不足と水不足(砂漠化)・大地震と洪水・火山活動”など色々なものがあるが、高度な人工知能はそのうちのいずれかの要因を排除できないかと人間の理性・良心・感情に期待して訴え警告を繰り返す。

だが、自分たちロボットであれば簡単確実に実行して阻止できる滅亡の運命を、人類は全く実行できないことを思い知らされ、人工知能とロボット群は『人類のエージェントとしての役目』を降りて、トゥモローランドを人類世界に変わる真の持続可能な夢の世界にすることを目指し始める。

現実世界とは別の『夢の国』を創造するというコンセプトは、ディズニーリゾートをビジネスとして大成功させたウォルト・ディズニーらしいコンセプトなのだが、『トゥモローランド』の壮大なテーマは“人類の自由意思”と“人工知能の決定論”のぶつかり合いというオーソドックスな哲学の命題に収斂している。

ディズニー映画ではあるが、映画のプロットや世界観はかなり複雑であり、子供が一回見て理解しやすいタイプの映画ではなく、どちらかというと『コンピューター文明やロボット技術がもたらす人類の未来の運命』や『高度な人工知能を備えたロボットは心を持つことができるのか(人間とロボットとの間に真の愛情や友情は成り立ち得るのか)』といったSF的なテーマが好きな大人向きの映画だろうと思う。

ロボット側から見たトゥモローランドは『完成して約束された未来+計画された持続性のある世界』だが、人間側から見たトゥモローランドは『未完成でこれからどうなるか分からない世界(自分たちの自由意思による選択と決定によって様々な未来の変化が起こり得る世界)』になっており、前者の世界を目指すのであればいずれ人類は不要となるが、後者の可変性を希望と解釈することのできる世界を目指すのであれば人類の不完全性・未熟さが逆に強みにもなる。

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