マルクス主義から見る恋愛論・家族論:人はなぜ嫌いでなくても恋人と別れる時があるのか?

若い頃の表層的・感覚的な恋愛では『他に好きな人ができたから別れてほしい』も多いが、男女関係は恋愛でも一人を選んだら他と余り親密にできない「一夫一婦制の誠実原則・独占欲」に相当拘束される。嫌いまでなっていなくても人生設計・倫理規範・結婚の必要で別れて疎遠になる事は多い。

納得できないフラれる理由1位は?

他に好きな人ができたが別れの理由になるのも、一人の異性だけしか恋人にはできないからで、一度男女関係になると「ただの話し相手」への格下げはしづらく、新たな相手との関係維持の上で邪魔になる事(不信を煽る)も多い。男と女は『皆で仲良くする事・共有する事はできない』という人間の独占欲の起点でもあり、マルクス主義が『家族制度』を攻撃したりもする今から考えると不可思議な理論構成もあったw

マルクスは『私的所有制度の廃止・生産手段や財物の共有化』によって、人間が困窮・階級(不平等)から解放される理想の共産主義を夢想したが、マルクスとエンゲルス自身が歴史的に考察したように人の資本主義的な独占欲の根源は『男と女・家族(身内贔屓のネポティズム)』と癒着しておりこれを廃絶する事は不可能に近い。

資本主義を『財物や異性の独占の欲望』が支える本能を織り込んだ体制とすれば、有限な資源を奪い合うという意味で人間(生物)の本性に沿った部分もあり、これを根本的に転換させることは難しい。資本主義経済の体制は簡単にはなくならないのである。

近年は恋愛結婚・出産の欲望が過去より弱くなったり、車・家など高額な耐久消費財を長期ローンを組んででも私有したい人が減って、シェア文化が強まっているともいうので、昔とは多少事情が違ってはきているのだろうが。

婚姻制度の起源は部族共同体における『財と性の交換・子孫の確実な存続率の向上』にあるから、女性が社会進出で経済力をつけたり、子供を持ちたい欲望を停滞させる消費文明が拡大してくれば、婚姻欲も世間体やロマンスラブ以外の理由では高まりにくい。異性の私有・独占は『対幻想』だといったのは思想家の吉本隆明だったか……。

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