大人になるほど1年や1日が短く感じられるのはなぜか?:“心理的時間が進む速さ”の年齢による変化

一般に年齢が高くなるほど、1週間や1年間といった『まとまった時間単位』の時間が流れる速さが速くなると感じられる。

この理由は記事にある『加齢による代謝の低下』という脳の視交叉上核が関係した生物学的原因、『人生全体に対する時間単位の比率の低下(5歳にとっての1年は20%・50歳にとっての1年は2%,新規体験への興味や感動の減少)』というポール・ジャネの法則などで説明されている。

動物を含めると、寿命が短くて代謝が活発な小動物ほど『周囲の世界の動きをゆるやかに感じている(スローモーション的な知覚)』ために、『心理的時間』が『時計的時間』に比べて速くなっていて、時間がゆっくり進んでいるように感じているという。

心理的時間が速ければ速いほど、周囲の動きはゆるやかに感じられ、天体の公転と関連した客観的に測定される時計的時間よりも心理的時間のほうが速いので、『まだ1時間しか経っていないのか(自分の心理的時間感覚では2時間以上経っているように感じられる)』というズレが生まれてくる。

動物には時間の概念は理解できないので正確な喩えではないが、寿命が短く代謝が活発であれば、太く短く生きるとでもいうかのように『客観的な寿命の短さ』と同時に『心理的(主観的)な時間の長さ』もある程度はある(小動物本体にとってはそんなにあっという間ではない感覚がある)と推測されているのである。

年齢による時間感覚の変化は、数日以上、数ヶ月や1年間といった『ある程度まとまった時間単位』を振り返った場合に特に顕著である。

一方、『今日は時間が経つのが早かったな・遅かったな』という数時間から1日程度の短期スパンにおける『心理的時間の速さ』は年齢の要因よりも、好きなことを能動的にやっているか、嫌なことを受動的にやっているかという心理的・認知的な要因(コミットメント要因)のほうが大きく影響しやすい。

時計的時間が流れるのが遅い(なかなか時間が経たない)という時でも、『充実した楽しい時間をたっぷり満喫できる感覚』と『面白くも楽しくもない時間に付き合わされる感覚』は正反対のものであるが、一般的に時間が経たないという時には『嫌なこと・つらいこと・面白くないことに無理やり従事しているという認知(過ごす時間の受け止め方)がある時』である。

時間がなかなか経たなくて苦痛を感じているという時には、数十分から数時間くらいの時間単位を『何とかやり過ごさなければならない時間・できればその活動時間がなければ良いのにと思っている時間・早く終わって次に自分のやりたいことがやりたいのにと思っている時間』なのである。

この心理的・認知的要因は、年齢の要因以上に非常に個人差の大きいものである。例えば、ある人にとって退屈で退屈で堪らない数学の講義は、わずか90分の時間が永遠に終わらないように感じられたりもするが、別の人にとっては、『教科書・板書・講師の説明・質疑応答にコミットメントする時間(あっという間に過ぎ去ってしまう時間)』なのである。

またこういった退屈で時間の経たない講義・授業であっても、机の陰に隠れてコソコソと別の科目の内職をしたり、友達と手紙のやり取りをしたりスマホを操作したりしていれば、授業に対する興味関心やコミットメントの無さとは無関係に、早く時間は流れていくだろう。

短期的スパンの時間感覚では、『受動的・消極的な待ちの姿勢(次にやりたいことがあってその前に自分にとって無意味な義務的な時間をやり過ごそうとする姿勢)』があれば、焦燥・退屈の認知的要因によって時間がなかなか進まないということになる。時計ばかり頻繁に見て、後30分、後10分などと待っている時間はかなり長く感じるものであり、自分のやりたいことに前向きにコミットすることで時間の進みは早くなる。

嫌なことや興味のないことに向かい合って時間が進まないことがある一方で、『充実した楽しい時間をたっぷり満喫できる感覚』があるのに時間の進みが緩やかに感じられることもある。

これは『非日常性(新規性)・イベント性・空間の広さ』などに関連づけられる時間感覚で、登山などのアウトドアや旅行に出かけた時などは、普段の仕事をしている時よりも圧倒的に時間の進みがゆるやかなのに、その瞬間瞬間が非常に充実していて満足感も高いというように感じられる。

朝の7時~10時の時間なんて、仕事をしたりパソコンに向き合って文書を書いたりしていれば本当にあっという間であるが、登山をしている時にはその3時間で相当な標高まで登れるし、歩いている時の時間の進み方ものんびりとしていながら満たされるものがある。登山に限らず、新規性のある外遊び一般にも共通する時間感覚ではあるが、やはり空間的な視界や感覚が開けていて次にやるべきことに追われていないほうが、時間感覚は緩やかで焦り・苛立ちが殆どない。

個人的には『室内で過ごす時間・頭脳を使って作業する時間』のほうが『屋外で過ごす時間・身体を使って活動する時間』よりも時間の流れが非常に速いように感じるのだが、これも空間の広さや思考・知覚のバランス感覚によって生じるものなのかもしれない。

その意味では、頭脳の酷使や読み書きの仕事、ウェブの作業というのもほどほどであるほうが(読書・ネットなどの読み書きも非常に楽しくて充実はしているが外で活動する時間よりもすぐに時間が経ってしまうのが難点だ)、人生全体の健康や時間の有効活用の面ではいいのかもしれないと自戒したりもする。

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