菅義偉官房長官の発言から『沖縄問題』を考える:戦前戦後の沖縄の位置づけと犠牲・負担

安倍政権を代弁する菅義偉長官は『戦前・戦後の沖縄県の位置づけ』についての認識が、県民意識から離れすぎている。『戦後の占領統治及び米軍基地の為の強制土地収容』を引いて沖縄の本土との落差を訴える翁長知事に対し『戦後は全国で皆が苦労した(沖縄県民だけ苦労したわけではない)』という返答は論旨をずらしている。

沖縄県の近代は1872年の琉球藩、1879年の沖縄県の設置による『琉球処分』から始まり、薩摩藩と清に両属していた半独立国の琉球王国を日本に組み入れる過程は広義の併合でもある。沖縄県民の皇民化はウチナンチュの日本人化でもあり、『大和民族との自己同一化』は大日本帝国の中央‐周縁‐忠誠の問題でもあった。

本土から見た沖縄県の歴史・犠牲に対するダブルスタンダードは、『沖縄県の反政府性・自己中心性の非難(補助金に対する奉公の不足)』と同時に『戦前も戦後も本土の国民以上に人・土地の犠牲を払ってきた現実(自らの生活圏に普天間基地レベルの米軍基地が移転してくる事の忌避)』が存在し続けている事にある。

沖縄県から見た政府・本土の人の沖縄観に対する反発と不信は、戦中・現代の日本において『本土以上の沖縄の犠牲・負担』があってなお『中央政府の国防方針・日米同盟の合意事項』に反対してその犠牲や負担の削減を求めれば『自己中心的・危機感の不足・反日や中国贔屓』と揶揄されたり日本精神の欠如を指弾される事にある。

確かに、名護市辺野古への普天間基地移設問題は、民主党の鳩山政権で『無根拠な県外移設・海外移転の可能性』が持ち出されて実現できずに白紙撤回されたことが発端である。しかし普天間基地並の米軍基地を、『復旧困難な自然破壊』を伴いながら半永久的に維持し続けることは、地政学的必要を訴えても限界が来ると思うが。

スポンサーリンク