“生活苦(貧困)・介護疲れ”などを理由にした家族間殺人の増加と自己責任論の圧迫感

現代の貧困は悲惨な事件が起これば『同情論・政府批判』が集まるが目の前の貧困は『自己責任論』で叩かれる。無年金・無貯金の困窮も、健康でもう少し若ければ過去の就労歴を非難される要因になる。

夫婦死亡、殺人容疑などで三女逮捕「生活苦や介護疲れ」

本当に困っているなら生活保護を受ければいいのには…ある種マリー・アントワネット的な他人事の言い草で、生活保護申請で受け得る説教・屈辱・非難を恐れている人は多い、自殺とバーターになる事さえある。生活苦・介護破綻は突然起こるものではなく、じわじわ過去の不足・ツケが積み重なり、気づけば限界を超えている。

中年の長期無職者の再就労の難しさで、面接者が『こんなに長く働かずに何をしていたんですか?普通はもう少し早い段階でどうにかしなきゃと思う』などの自己責任追及の説教モードで来る事があるが、数十年かけて仕事や年金納付が定まらず貧困化していった高齢者も、同様の自信の無さ・不安が強く相談しづらくなっている。

人の自意識や相談の難しさは、『現時点の生活状況・困窮の度合い』だけを見て対応してくれる相手かどうか分からない事であり、過去に負い目があって自省の強い人ほど、生活保護に頼る発想にはいかない。貧窮に対する自己責任の部分も分かっていればこそ、ギリギリまで出来る範囲で働いてダメなら自殺の悲観に嵌りやすい。

現代日本の老後の人生設計は『約40年の勤務歴に基づく厚生年金・共済年金』と『1000万円以上の退職金+貯金』があって、初めて人並みの貧困でない老後が送れる(介護施設にも年金全額投入で入居可能)というものだ。非正規雇用が増えて基礎年金のみの層が増えている現状では、誰が老後に行き詰まってもおかしくない。

というよりも、厚生年金・共済年金の平均賃金代替率さえ50%を割り込もうとしており、新卒から65歳くらいまで休まずに正規雇用で働き続けても、一定以上の貯蓄・資産の形成に失敗すれば、公的年金だけで安泰な老後が暮らせるは幻想に近くなっている。『68歳以上からの年金支給・大幅な年金減額』のリスクは大きい。

新卒から休まず正規で働き続けたハードワーカーの雇用層でさえ、公的年金だけでは老後の生活費に不足を感じやすくなるの予測は脅威だ。その時代の低年金・無年金層に対する自己責任論はより強くなり生活・介護も厳しくなる。ロボットが全介護できるとか、尊厳死要件が緩和されるとかの劇的変化がない限り、ジリ貧な状況。

三女が両親と一緒に無理心中しようとしていたことから、10年以上姿を見せていないという長女・次女は何をしていたのかという非難の声もある。『貧困家庭』ではアダルトチルドレン(機能不全家族)の問題から絶縁・離散が多くなりやすく、親子関係も早い段階から険悪(憎悪的)なものになってしまっているケースが多い。

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