『夫源病(妻源病)』と人間関係の悪化による対人ストレス

夫源病(妻源病)というのは現代的な新しい概念であるが、家族や親しい相手であっても『最低限度の配慮・礼儀・距離感』がなければ、持続的にストレスの小さな良い人間関係を続けることはできない。

実質的に嫌いになったり無関心になったりした相手とでも、家族の形態(法的な互助・同居の義務)がある限りは一緒に暮らさなければならない悩み、全てが気に入らなくて関わりたくないと思うようになってしまった相手からあれこれ監視・干渉・指示されたりするストレスと考えれば、概念は新しいけれど古くからある問題(昔はどちらかが辛くても合わせて我慢したままで終わっていたケースや家族・夫婦とはそういうものだから仕方ないで体調を崩しながらも忍従していたケースが多そうな問題)でもあるのだろう。

最近体調悪いかも…原因は夫にあり?夫源病とは

夫源病(妻源病)を引き起こす人の顕著な特徴は『身内(家族)であればどんなわがままな言動をしても良い・妻(夫)であれば自分のわがままや甘えを察して受け容れたり満たしてくれるのが当たり前である・思い通りにならないと幼稚な醜態を晒すがそれが身内なら何も恥ずかしくない』といった価値観を持っていて、『最低限度の配慮・礼儀・距離感・自尊心』がまるでないということである。

『親しき仲にも礼儀あり・自分と相手の人格や時間は異なっている(自分と相手には固有の生き方や内面があり完全に一致することはありえない)・家族にも一定の配慮や遠慮が必要である(家の中での生活音や言動のあり方にも一定の注意が必要)』という感覚が欠如しているために、悪循環を繰り返す『共依存』に陥ったり、自分の欲求不満を叶えてくれない相手に怒り・不満を募らせて『DV・モラハラ』をしたりするのである。

なぜもっとも近しい間柄である家族との間で夫源病や妻源病が起こりやすいのか、特に男性側のモラハラ的な言動が原因となる夫源病のほうが妻源病よりも起こりやすいのか。

その理由は、『旧来的な男女の性別役割分担の過渡期』と『実質的に破綻した夫婦・家族の関係を継続せざるを得ない事情(女性が経済的理由によって人間的に好意や関心を持てる面がまったくなくなった夫にでも経済的に依存せざるを得ずなかなか離婚ができない等)』が関係していると考えることができるだろう。

夫源病に陥る女性には『相手の人間性・生き方・価値観・外見などに深く惚れて結婚したわけではない』という人が多く、どちらかといえば『結婚すれば絶対に幸せにする・大手の企業で勤めていて安定している・経済面では苦労させないから・子供の育児もしっかりできる環境がある』などの男性からの強いアプローチに折れて結婚した人が多いのではないかと思われる。

こういった団塊世代やその前後に多い結婚では、旧来的な男女の性別役割分担や家族・育児環境の経済面の安定を重視して、『真面目に働いてくれそうな夫・安定した仕事や所得のある夫=自分や家族を守ってくれそうな夫』という点を主に評価して結婚したことになるが、夫源病になるのはこの前提が大きく崩れてしまった場合だろう。

『真面目に働いてくれそうな男性』というのは『仕事が好きで家族のために機嫌よく働いてくれる男性』とイコールではないということもあるが(初めの頃だけその好きな女性に気に入られようと思って経済力や仕事への前向きさをアピールしていたが途中で折れて思い通りにならない人生の不満を妻子に八つ当たりしだす男など)、夫源病になりやすい人は『過去にした約束事(関係性の役割分担)へのこだわり』が強い女性が多い。

男性側では『大言壮語して約束を守らない・家の外のストレスを家族に八つ当たりして発散する・家の中でいつも不機嫌で威圧的・外面は良いが家の中ではどんな醜態を晒しても平気・清潔感や生活音に対する配慮がない(がさつで汚い印象を持たれるような服装・態度・食べ方などをする)』などの要因がある。

例えば『お金の面では心配をかけない・何があっても幸せにする・他の男よりも自分が頼りになる』などを過度に強調してそれを信じて結婚した男が途中で崩れると、『約束を破って自分を不幸・貧乏にした絶対に許せない最低な男』というラベリングは強固なものになり、その評価下落はおそらく生涯にわたって回復することがない。

現代の結婚であれば『自分が人間や異性として本当に好きになった惚れた相手(この人のためなら自分が大きな負担や犠牲を払ってでも助けて上げたい)』を選ぶという人も増えているので、『結婚初期の片務的な役割関係・責任配分の約束事(惚れた一方の猛烈なアプローチや相手を幸せにする片務的な奉仕の約束)』などは生じないことも多く、『女性側に自律可能な雇用・経済力』があれば相手に徹底的に愛想が尽きたり、好意・敬意がゼロ以下にまでなれば離婚するので夫源病にはなりにくいとは言える。

夫源病(妻源病)というのは、『顔も見たくないほどに嫌いな相手・生活音がするだけでイライラするような相手・この人のせいで自分の人生が台無しになったと憎む相手』になっているのに(初めから自分のほうが物凄く好きで結婚したわけではなく、相手からの猛烈なアプローチやメリットの呈示、世間体の同調圧力に負けて結婚してあげたというやや上から目線の結婚認識も含めて)、夫婦関係を解消できない経済や労働・子育て・世間体・DV(別れたら何するか分からない脅し)の事情がある場合に生じるストレス反応性の精神疾患というか自律神経系の失調状態と言えるのかもしれない。

他人と一緒に長い時間と空間を共有して過ごすというのは、一般的に強い『対人ストレス』になりやすく、特に『几帳面で神経質な人とがさつで無神経な人』あるいは『自律性や距離感を求める人と依存性やわがままの受容を求める人』の組み合わせでは長期間の共同生活には心身の調子を崩すほどのストレスになりやすい。

夫源病(妻源病)の初期段階であれば、『相手への思いやりを強めて自分の言動を改める』や『お互いにできるだけ干渉せずに相手を刺激せずに生活できるスタイルに変えていく』で改善できることもあるはずだ。

『トイレ・風呂・台所などの共有スペース』を個別に準備して、がっち合わないような暮らし方が二世帯住宅のような設計にすることで可能であれば、相手の生活態度や生活音によるストレスはかなり減らすことができるが、不平不満や嫌いな要素が年々積もりに積もっていって、相手の存在そのものに対する評価が大きく低下すると『家の中で何かをしている姿が視界に入るだけでもストレスになる』という人もいるので、そこまで嫌いになって離れられないなら何らかのストレス性の心身症や自律神経失調症を発症してもおかしくはない。

本当に人間や異性として好意・興味・関心を持ち続けられる一緒にいて楽しいなと思える相手と結婚すれば『夫源病(妻源病)』のリスクは大きく減るし、『最低限度の配慮・礼儀・距離感(相手の嫌がることや不快に思うことをしない、指摘されたらすぐに改める、自分と相手のどちらが悪いかの責任追及の争いをしない)』をお互いに自然に守れて思いやりを持てればそもそも夫源病(妻源病)は生じない。

そういった人間性の相性を見誤ること(結婚前だけでは虚偽・演技も含めて大きく取り繕っていること)は往々にしてあるし、異性やコミュニケーションの魅力は結婚の決め手としては軽視されやすいこと(安定した生活・育児のためなら少々の嫌な部分には目をつむらなければならないという消極的動機づけ)も多いが、予防法としては結婚前に『この相手のためなら多少の負担・損失や自己犠牲に我慢できるかどうか(自分はそれほど相手の人間性や異性としての部分が好きではない+相手側の好きな気持ちと大切にするという貢献・奉仕の約束だけを結婚の決め手にしていないか,そこまで好きでいてくれるならに押し負けただけで自分の気持ちはそこそこに決めていないか)』を十分にセルフチェックすることくらいしかないかもしれない。

最終的には『家族も含め誰かのせいにしてもどうしようもない状況は多い+自分で自分を幸せにするしかない(誰かの約束や好意に依拠したり甘えた場合にはその前提条件が覆されることも確率的にあり得る・いざという時には自分で物心両面で自立できる潜在的な能力と精神力を持っていなければならない)』という人生の自律性・自責性についての意志や覚悟があるかないかで、夫源病にしても妻源病にしてもそのリスクが大きく変わってくるだろう。

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