吉本隆明の講演集の音源:死んだ思想家の語りを聴き終わるまでAudibleが解約できない…

今、満喫している楽しみの一つに、深夜・早朝の約60分間のウォーキングの時間に、AmazonのAudibleで今は亡き吉本隆明(1924~2012)の政治経済や文学と詩・人生論・宗教論などの広範なテーマを巡る講演を聴くことがある。

吉本隆明の著作そのものは、代表的な作品・思想以外は、晩年のものを中心に読みやすい時代批評や人生哲学を読んでいるが、吉本の文学論・近代詩論にはほとんど接していないのでそういったジャンルを新鮮味があるし、フランクなくだけたおっちゃんのノリで様々なテーマを持論を踏まえて楽しそうに語る吉本の講演は『今この世にいない死者の声』という意味で奇妙な時間軸の捻じれを味わうこともできる。

曽野綾子のキリスト教ベースの人生哲学とか、田中芳樹の『銀河英雄伝説』とか、芥川龍之介や夏目漱石の小説なんかもたまに聴いているのだが、音質が悪くて語りが必ずしも上手くない吉本隆明の講演が一番面白くてあれこれ考える材料になる。

ウォーキングしながらスマホで吉本隆明の『宗教としての天皇制』『国家・家・大衆・知識人』『親鸞について』などを聴いている人は、今の日本でどれくらいいるのだろうか、深夜1時などの同時間帯では恐らく僕一人ではないかと思いながら、暗く静けさに満ちた街灯が照らす夜道を5キロ、10キロと淡々と歩き続け、適当な所で見切りをつけて復路を辿る。

中には音が割れていたり小さすぎて聴こえないものもあるのだが、大学の講義・各地の講演会などで録音された年月を見ると1960年代~1980年代というかなり古いものであり、カセットテープに録音していたものをデジタル化したと思われるから、こういった『音質の悪さ・参加者の咳払いや不規則発言・室外の車などの騒音』も時代のライブ感として感じることができる。

吉本隆明は秩序だった講演の語りが上手いわけではないが、流暢ではないことが逆に『生身の語り(下書きした原稿の流れなどに強く頼らない即興的な語り)』の味わいを醸し出している。

どちらかというとどもったりつっかえたり、話の順序が逆転したりしながら、『その場のテーマに関連する着想・話してみた時の聴衆の反応やノリ』を『自分の持つ知識・情報・経験』とリンクさせながら、正にライブ感を持って語るタイプの思想家だろう。

Audible収載の吉本隆明のコンテンツは『183』もあり、一つ一つが短くても1~2時間以上の講演なので、なかなか聴き終えられそうにもない。

マルクス主義関連の政治・経済の分析など、今から見れば時代遅れの知識や情報も多いわけだが(最終的には高度資本主義・科学主義文明の側にコミットする現実主義路線に転向したと見るべきだが)、戦後から現代の日本人が見落としやすい『国家と市民社会の区別』や『信仰・信心のなくなった世界における私的領域(世俗・権力におもねらない根本価値)の確保』などは今聞いても参考になるところはあると思う。

一方、オウム真理教事件の際に、反権力の宗教者・ヨーガ修行者として麻原彰晃を肯定するかのような発言をして(オウム真理教が犯罪主体として断定された後に為されたものかははっきりしない)、吉本は『卑劣な殺人者・犯罪集団をかばうのか』と激しくバッシングされたことがあったが、その時の発言と思われるものも講演集のどこかに収載されていた。

『一元的な国家権力・法秩序の領域から外れ得る主体的なもの(前近代的なアジール・無縁の自由と自治を思わせるもの)』への牧歌的な憧れ(権力・暴力に強制されない自生的な秩序と連帯)というものが、吉本の思想の根底にはあるように思う。

それがマルクス主義へのかつての傾倒とソ連批判からの失望(資本主義・自由主義への回帰)を生んだりもしたのだろうが……生活者が目に見える範囲の人間関係をベースにして構成して心理的に依拠する家族の規模を超えた『市民社会・共同体意識の欠落』に対する吉本なりの時代的危機感に根ざしたバイアス(=無力化した個人が帰属して献身する対象が、顔の見える人々が作る市民社会ではなく思想的強制的な国家権力・政府に直結しやすい近代的ナショナリズムの短絡への憂い)がそこにあったと見なければならないのだろう。

『大義のある目的のために手段を選ばないということは許されるのかという問い』について、『個人の倫理・自己規制』ではなく『国家・家・大衆の共同幻想の共有(あるいは男女一対の対幻想)と役割の強制』があるというような話も何度か出てきたが、オウムの問題も畢竟『教団上層部の野心+共同幻想の歪みのアマルガム』であって、吉本が夢想したような仲間集団の権力排除の自治・自由の空間(仲間を害せず愛するという共同幻想の具体化)などではなかったことはおよそ自明なのであるが。

オーディオブックはなかなか一冊(一つの講演)を聴き終えるのに時間がかかるのが難点ですが、政治経済・思想哲学だけではなく近代文学論や芸術・詩論もぼちぼちと聴いていきたいと思います。

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