大人の『鈍感さ・スルー力・処世』は、子供の繊細さや純粋さを失わせるが……他者と向き合う真摯な姿勢

大人になると『鈍感さ・スルー力・処世』によって子供の傷つきやすい気持ちが分かりづらくなるが、極端に繊細な心のままだと厳しい現実に耐えられない。順境(安楽)にあれば逆境(苦痛)に共感するのは難しくなりその逆も然り、人が『他者の他者性』と世代・境遇・性別・感情を超え向き合う事はどこか演技的要素を持つ。

その意味で『あなたの気持ちが分かる』や『私もあなたと同じだった』という善人・理解者としての発言を、迷いなくストレートに言える人は、悪くはないが『経験主義・常識論を介した人のあり方の決めつけ(この場面ではこう感じるべきの類型化)』の強い人だろう。共感や同情の強制性(自他同一視)が息苦しさにもなる。

家族・夫婦・恋人・親友であっても、『お互いの気持ちがある程度分かり合えて当たり前という道徳的規範・ヒューマニズム・恋愛友情の表象』がある一方で現実には『自分と相手は同じ人間や状態では有り得ないという他者の他者性』によって理解や共感、同情には自ずから限界と役割性が生じる。人間関係の期待のズレでもある。

他者の他者性が示唆する相互理解の限界は『瞬間的な真の理解者・対話者』を否定するものではなく、『持続的な相互理解の演技性+自己と他者の意識の原理的な別個性』を思わせるものだ。自他の自我の距離感と対話の有効性(承認・快)で関係の濃淡が決まってくるが、思考が一致しない故に対話のニーズや刺激も維持される。

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