中学2年生の女子2人が遺書のメモを残して自殺:現代を生き抜く力と楽観主義の大切さ

現代の少子化対策の難しさは『生きる希望や力を持つ子供の育成』も併せて考えなければならないことで、10~20代の自殺者数が微増傾向にある。まず模範を示すべき大人が人生をエンジョイできていないばかりか、自殺念慮・心中願望を抱いて自殺してしまう事件も少なからず見られる。

「死にたい」通学カバンにメモ複数 中2女子2人死亡

『生きていれば良いことがある』の建前では絶望した子供を救うことはできないが、『いじめ・家族不和・虐待・学業不振・進学就職の不安など具体的な問題』がある方がまだ対策や援助はしやすいかも。生きていれば良いことがあるかは分からないが、自分にとっての意味・価値・関係を作り出す試みの繰り返しを楽しむしかない。

生きていても意味がないとかつらくて死にたいとか言うのが、10?20代の若い人なら『生きていれば良いことがある』は、気持ちの持ち方や長い人生における確率論として正しい面がある。現代の生きづらさは自由・喜びと表裏の関係にある『個人間の差異の拡大』と『所与の居場所がない市場性(コミュニティ喪失)』にある。

女子中学生は人間関係に悩んでいたようだが、アドラー心理学では『すべての悩みは人間関係の悩みである』と喝破される。『人から好かれたい認められたい・人から嫌われたくないという親和・承認欲求』は普遍的でゼロにはできないが、それに執着して振り回され過ぎると自分を見失い、他律的な葛藤が生きる力を奪ってしまう。

現代社会をサバイバルするもっとも適応度の高いスキルは『お金を稼ぐ能力』と『人に好かれる魅力』に還元されるが、それらの半ばは自助努力やテクニックで何とかなるが、半ばは天賦の才覚や生まれながらの環境、偶然の運に左右される。人から良くしてもらいたい愛されたいとばかり思えば大半の人は自己憐憫に陥るものだ。

だが人生の面白い本質は『お金を稼ぐ能力』と『人に好かれる魅力』にどんなに恵まれていても、それだけでは『人生・社会・自分の予期せぬ変化・挫折』でいつそこから転落し不幸になるかわからない事だ。人生の救済は見返りを求めず自分から『人を好きになれるか・見たいものややりたいことがあるか』の側にむしろある。

スポンサーリンク