道徳の教科化と極限状況でも他者を思いやり生き抜く力:センシティブな人の生きづらさと人間の矜持

道徳の教科化は『全体主義・価値の統制』が問題視されやすいが、この記事の内容だと『自他の意見の折り合い(人の意見も聴く)・価値観の多様性』が重視され、内面の安易な数値化も避けられている。

教科化の道徳、数値でなく記述式で評価 専門家会議了承

儒教道徳(身分区別)や天皇制、国民主義、ムラ社会の同調で庶民を従順に洗脳できた時代には戻れない。現代における人の踏み行うべき道としての道徳の中心規範は『他者危害原則』と『共感と協力・話し合いと自他尊重の重視』になってくるが、現代人が道を踏み外す原因となる『孤立・貧窮・怨恨』は10代での実感は難しい。

平均的な人は、自分自身それなりに順調で幸せであれば、簡単には道徳規範や人道主義を踏み外さず、『他者の不幸・苦悩』に想像や共感を巡らす余裕もある。だが貧困・孤独・怨恨・嫉妬でどん底まで落ちた時に、その人の道徳性や精神力が試される、他害・犯罪がなくても弱った時の自殺・自滅の誘惑はシビアなものになり得る。

だがそういった極限の精神状態に陥った時、どう耐え忍んでどう再起を計れば良いのかというのは『授業・理屈の形式知』として教えて分からせられる内容ではない。追い詰められて人を傷つける人は傷つけ、自らを殺す者は殺し、踏ん張って再起する者は再起するが、再起できる人になれるよう、大人は何を教えられるだろうか。

現代はセンシティブになればなるほど傷つきやすく折れやすい時代であり、『個人間の人生の内容と解釈の格差』も開く一方だが、道徳とは畢竟『自分が人間としての自負を持って生きるに当たり、踏み越えてはならないとする最終ラインを自己規定して何とか守ること』でもある。単純に諦めずに生きるのも道徳の一部ではある。

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