ボブ・ディランがノーベル賞受賞に対して反応なし, 村上春樹はいつか受賞に至るのか?

ノーベル文学賞は村上春樹のような周囲が受賞を待望する作家(売れっ子の作家)は選ばれにくく、『想定外・マイナー』に目を向けやすい。ボブ・ディランは狙いに狙った想定外だろう。

ボブ・ディランがノーベル賞にシラけている理由、周囲の熱狂のバカらしさ

ボブ・ディラン選考は、ノーベル文学賞の対象が『小説・評論・随筆を書く作家』に限定されないという新ジャンルの先例になる。ボブ・ディランだけは特別で以後は歌手の選出はないということも有り得るが、『歌詞に文学性・哲学性・政治性のあるシンガーソングライター』まで含めると候補者は膨大になり次は予想困難になる。

自然科学系統のノーベル賞と比較すると『平和賞・文学賞・経済学賞』は選考委員の主観的な判断や思想、好き嫌いもある程度反映される。ボブ・ディラン受賞に当たって詩と文学は不可分であり、吟遊詩人も偉大な表現者として『現代のホメロス』とまで評した報道もあった。史実と絡む叙事詩・叙情詩に歴史的価値は確かにある。

ボブ・ディランが『歌手・作曲家・詩人・エンターテイナー・言論家・歴史的評価』のいずれにアイデンティティの軸を置いているかで受賞の受け取り方は変わる。『受賞の事実がすぐに忘れ去られる』はシニカルなユーモアで、ノーベル賞の順番待ち気分の米国の老作家は不朽の名声を求めディラン受賞に嫉妬をぶつけている。

ただアメリカの権威的な作家であるアービン・ウェルシュがボブ・ディラン受賞に対抗心を燃やすようなコメントを出し、スティーブン・キングがボブ・ディラン受賞はこの悲しい時代における素晴らしいことで興奮していると手放しの賛辞を送るように、気質や願望の違いは出る。村上春樹は静観、作品の時代性・政治色が弱いかも。

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