上西小百合議員の『格差・貧困』を軽視した『給付型奨学金反対』の富裕層発言:日本の社会階層の分断と少子化の一因

この給付型奨学金反対=貧乏人は中卒で働けの文脈で『違います。家が裕福でしたから大学まで行きました。それどころか3000万以上の貯金も~』と語れるのは神経が太いが、政治家としての資質欠如やアスペルガー的な他者への無関心を感じる。
上西小百合氏、最大級の炎上「給付型奨学金大反対」

上西小百合氏の専門・業績やインテリジェンスの高さは知らないが、『あなたは中卒高卒で稼いで私立大学に行ったのかの質問の意図』を理解していない意味で、現代文のリテラシーや他者の意図の推測(コミュニケーション力)は低いように感じる。『本当に勉強したいなら社会に出て大学に行け』も日本の経済階層の理解が弱い。

政治家として『格差問題や教育機会の保障・長期奨学金返済の問題』といった課題に、私は貢献しません自己責任ですという宣言をした意味で、上西小百合氏の支持層の何割かは離れるのでは…上流階級が庶民階層の苦労・負担を『大したことないでしょ・自分でどうにかすればいいじゃない』では政治家になるべきではないだろう。

日本の人口動態や少子化未婚化なども『広義の教育機会・社会資本・雇用と資産の経済力の格差』からの帰結(悲観的な将来予測)であり、上西小百合氏のように政治家が『自分でどうにかすれば・お金がない家に生まれて残念だったね』でいいなら、政治家という職業を自己満足・権威のために選ぶなという話にしかならない。

上西小百合議員の発言から『階層格差・政治家の資質』について書いたが、マイミクさんの意見に『学校に行かせられないなら子供を作るべきでない(育児責任と教育付与の密着性)』と『親の経済力・コネで規定されやすい(流動性低下)』があり、現代人の人生先読みの閉塞や野性の去勢、AI社会構想の背景にも重なる視点か。

『機会の平等』『身分・階級・暴力の廃止』は近代社会の目指し続ける公平原理だが、厳密には遺伝子レベルや親子間の愛情(他者よりも血族を優遇)を考えれば『実現困難な公平原理』だ。現時点でも『所与の不公平』は解決できないが、構造の知により不公平・理不尽・被管理を生き抜き再生産する『野性』の去勢が問題化した。

ヒトは人為的な環境操作・条件変更の『知性・技術(科学・医療)・法律・倫理・文化』によって、自然界に計らいなく働く無目的的な『自然選択の原理』を変化させ『幸福と安心と倫理(正しさ・福祉)と豊かさの人間原理』によって生存・繁殖するようになったが、近代化で人権・意識が拡大した先の今の問題は特異的なものだ。

前近代には奴隷・下層階級・被差別民・被統治者がいて、貧しさや惨めさに喘ぎながらも生存し子孫を残したが、それでも人類史の人口動態を見れば人口が急増したのは『農業革命・産業革命』と『安定統治期(生産性上昇期)』に限られる。前近代は食料・資源が増えれば人口が増える単純なマルサスの人口論が通用した世界だ。

ロバート・マルサスの『人口論』の有名なテーゼは、食糧生産は算術級数的にしか増加しないが、動物でもある人間(当時は人権・性選択・避妊の抑制が弱い)は幾何級数的に急速に増加するというもので、いずれ食料資源の不足によってカタストロフィが起こるの予測を多くの近代国家が警戒したが、20世紀末に潮目が変わった。

先進国では20世紀後半から、国家が人口増加を抑制しなくても国民側が勝手に子供を産む数を自律的に調整し、遂には人口爆発による食料枯渇が警戒された中国でさえ『一人っ子政策』を取り下げ、高齢化社会の労働力としてもっと子供が必要と考え始めたがこの急な変化は近代の成熟・意識の肥大・管理=去勢と無関係ではない。

この階層格差や自我意識、構造の知が関係した諸問題は、先進国で『万国のプロレタリアートよ、団結せよ』の共産主義のプロパガンダが陳腐化・無効化した歴史とも重なるが、現代は貧困層・低所得層でもプロレタリア・抵抗者の自意識は嫌われ『制度・管理に適応できない自分が悪い』の自己責任原理で自発的な去勢がされやすい。

自発的な野性の去勢というのは、端的にはそこまでして子供を持たなくても良い(結婚しなくても良い)とか、つらすぎるのに生きなくても良い(自殺・尊厳死の問題)とかいう現代に瀰漫する『生命力と抵抗力の抑制=ディプレッション=うつのモード』と解釈しても良いが、機会平等が建前化する現代社会のメタ認知でもある。

近代の発展過程で『空腹を満たすこと・生活必需品をそろえること・家を建てること』などが庶民が逞しく生き抜く生命力を支えたが、物質的な豊かさをいったん達成した後は、もっと豊かにもっと美しくもっと楽しくありたいの強欲・洗練・選り好みが『優生学・無意識の階層制度』を生み、仕組みを知る現代人は抑制される。

歴史的には『無知・単純・強制・運命享受(分相応)』が人間の意識のこじれや身分格差の不満を抑えた。古代から中世には実力・身分・説得力が伴わず、物事の知識があるために理不尽や反道理に対する怒りが我慢できず『憤死(現代では死語)』する単純になれない士がいたが、制度・管理に対する適応障害のこじれでもあった。

孔子の『論語 学而篇』の『人の己を知らざるを患えず。人を知らざるを患う』は、有徳の君子の心構えとすべき教えとされるが、門弟3千人を集める知識だけはあったが実際の政治的な地位・権威では報われなかった如何にも孔子らしい自戒の言葉で、社会の不公平・理不尽を所与の現実と見て自我の複雑化を抑えるものである。

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