日本の幸福度はなぜ低いのか?:コミュニティや没頭できる対象を失いやすい現代人の幸せのハードル

物質的に豊かな成熟社会の幸福実感は個人的・相対的になり、『金銭・自由・人間関係』で他者より恵まれてないと思うと不幸になりやすい。だが絶対的な生活水準・利便性では現代人の中流は近代以前の王侯貴族を超えている。

日本の「幸福度」は155ヵ国中51位。ランキング上位の国々が考える「幸せ」とは?

並みの人間は『個人の贅沢・快楽・自由・保障・異性』などを基準にした幸福追求を目的にすれば、『自分よりも持っている(気楽そう・楽しんでそう・能力がある美形である)他者との比較・劣等』によって相対的幸福感の罠にはまり不遇感に陥る。現代日本の庶民には『学校・家庭・勤め先以外のコミュニティ』が乏しいもある。

先進国は自分や身内が良ければよいの個人主義的な幸福追求に傾きやすい。物質的・技術的な豊かさによって、コミュニティに貢献する帰属感・共感・奉仕から離れて個人単位になるが、人類の歴史における並みの庶民の幸福の大半は『個人競合の力量・魅力・快楽』ではなく『共同体的・平等的な集団内の承認』にあった。

だが現代日本のような社会や環境で、牧歌的・必然的な共同体主義に戻ることはできず、人の好き嫌いが強まり他者のストレスを嫌うセンシティブな現代人には生産手段共有の共同生活的な連帯感・相互承認は幸福につながりにくい。感謝や足るを知るの自己洗脳・分相応も一手段だが、幸福追求より没頭・専念できる事を探すべき。

個人主義的な幸福追求の欲望は、『拝金・自由・承認(尊敬)・能力と魅力・美貌・家族・異性・人間関係・快楽』などのアスペクトでの他者との相対比較のグラデーションなので求めれば終わりがない。満足したければ感謝・足るを知るでも良く、ドキドキしたければ知的好奇心・行動的冒険心があれば良いのである。

現代でも絶対的幸福を得たいなら、夏山のカラカラになる渇きで冷水を飲む、苦労した先で絶景を眺める、腹をギリギリまで減らして握り飯を味わうなど『生理的な飢渇・危険』を意図的に作っても良い。『十分なお金・自由・快楽・相手・保障がなければ不満』はほとんど何でも思い通りになる資産を持った王侯貴族水準の過ぎた不満で大半の人は無理だろう。

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