『嫌韓・嫌中』が2000年代以後に急増した要因の考察:インターネット(本音・攻撃感情の氾濫)と中韓を圧倒し続けた経済大国日本としての余裕(優越感)の凋落

日中戦争・韓国併合の当事者が鬼籍に入ったのに責任追及を続けられる加害・被害の構造が嫌韓・嫌中の根本にあるが、歴史が流れ世代が変わり経済大国化した戦後日本の最盛期が終わった影響も大きい。

コメント欄にはびこる嫌韓・嫌中 ヤフー・ニュース分析

1950~1970年代頃までは戦中に指導的役割を果たした政治家・軍人・官僚もまだ存命で、戦時の貧窮と犠牲を体験した国民に『戦争の悲惨・韓国併合・中国進出のリアリティー』もあった。また戦後の焼け野原から復興して経済で先進国に並ぶ『物質的豊かさへのハングリーさ』に日本人の関心と意欲が向けられていた。

1980年代、バブル景気で日本経済が刹那の最盛期に到達するまで、日本人はエコノミック・アニマルとして『欧米への代理的な経済競争』を企業戦士となり仕掛けた。戦争で完敗したアメリカにジャパン・アズ・ナンバーワンと言わしめ、日系資本がニューヨークの一等地や大企業を買い自動車を売りつけ米国人を動揺させた。

1991年、一時日経平均3万円を大きく超えた空前のバブル景気は突如弾け、それ以降、日本経済が世界一のアメリカに追いつき追い越せの勢いを取り戻すことは現在に至るまでない。日本は超高齢化の構造的な市場縮小・財政悪化・労働力不足に直面、中国の経済大国化でGDPは世界三位に後退、インドにさえ猛追される。

日本人が中国や韓国に対する歴史認識をはじめとするあからさまな敵意・競争心を示し始めた原因の一つは『インターネットの普及』だが、それ以上に大きいのは『右肩上がりの経済成長・人口増加の終焉』だろう。今まで経済力も技術も文化もない途上国と見下していた中国・韓国に部分的な経済ジャンルで負け出してからである。

嫌中・嫌韓の文脈では『特ア(特定アジア)』という概念で、中国・韓国・北朝鮮を『他のアジア諸国とは違う特別な反日国家』と定義するが、視点を変えれば日本こそが戦前の大東亜共栄圏も含め、日本国は他の遅れたアジアの一国ではない(他のアジアと同じにするな・欧米並みの先進国)という特定アジアだった側面もある。

1990年代初頭以前の、世界第二位の経済大国に上り詰めた最盛期の日本人にとって、中国・朝鮮半島は戦前のイメージを引きずった日本よりも経済力・生活水準・文化でかなり劣る後進国で、『日本人はあなたとは違う(欧米先進国同等の特別なアジアの盟主なり)』の意識があればこそ、同じ立場で嫌う感情を持ちにくかった。

日本よりも格下の国(戦前も日本優勢で統治・侵略した国)の優越感のある自己イメージがあり、『歴史経緯から道義的にも助けてあげなければいけない意識』がそれとなく共有されていた。だが、日本経済がバブル崩壊後に『失われた20年』を越える長期停滞を続け、日本国民の生活も圧迫される中、中国・韓国が急成長したため『上から目線の寛容(戦中派の当事者性)』の維持は不可能になった。

日本は敗戦国であるため常任理事国でこそないが、経済規模の大きさと成長速度の速さから、1980年代まで日本はアメリカやロシア(旧ソ連)、イギリス、フランスといった欧米の大国と唯一対等の特別なアジアの国という自意識があり、中国・韓国に対し余裕ある上からの寛容性・豊かさで対処して事を荒立てなかった。

『脱亜入欧』の頃から続く欧米コンプレックスであると同時にアジアの盟主意識(明治維新で近代化した日本は中国を国力・国際的評価において完全に凌駕したとの意識)でもあるが、経済大国としての自信と一般国民レベルの豊かさの実感を失ったことで中国・韓国に対するナショナルな敵意・政治的歴史的な反発は強まりやすい。

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