子供を道路・住宅地で遊ばせる『道路族』と生活騒音トラブルの心理:なぜ騒音を我慢している人はキレやすいのか?

モラル希薄化ではなく地域の共同体性の崩壊とライフスタイルの個人化・静謐化が根本原因だろう。子供本人や親と気軽にコミュニケーションして移動して貰える関係があればまた変わる。

「道路族」トラブル深刻=住宅街路上で遊ぶ子と親―地域モラル希薄化・専門家

地域の共同体性が崩壊すると、お隣の親子でも挨拶や雑談をしない『赤の他人』に近くなり、『地域共同体の一員』ではなくなるので勝手に『話し合いが通用しない異質で不快な人たち』と決めつけてしまう。道路・自宅の周辺で遊んだり大声を出したりしていると『他人に自分のパーソナルスペースを侵害される圧迫』が強まる。

『コミュニケーションをしない親子(話し合いが通じない異質・不快な他者)』と『一方的に理不尽に自宅で我慢し続けている自分(少し移動してくれと言えない自分)』が組み合わされると、最悪の場合、精神状態が悪化してよく事件報道にあるような刃物を持って公園等に押しかける犯罪者のようになる。

道路や自宅周辺での子供の遊び・声(大人のバーベキューなども)を迷惑に感じる問題も『広義の生活騒音トラブル』であり、『地域共同体・人間関係の崩壊』によって『率直な声かけ・話し合いができないこと(話し合って相手の事情に納得して譲り合えないこと)』が原因になっている。生活騒音トラブルは現代的な問題である。

自宅近くで子供が大声で遊んでいたり、バーベキューで騒いでいたりする時、声・音をうるさく思う住民は『もう少ししたら静かになるだろうという我慢』をしながら『この迷惑を察して欲しい』と思っている。だが騒いでいる人には『目の前にいない自宅にいる相手に迷惑をかけている自覚』そのものがないことが多い。

子供やバーベキューがうるさいと言っていきなりものすごい形相で怒鳴り込んでくる人や刃物を持ち出してくる人は、客観的に見て精神状態もおかしくなっているが、本人の言い分としては『毎日毎日うるさい状態を何ヶ月も我慢してきてもう少ししたら静かになるだろうと耐えていたのにいつまでも変わらないという不満』がある。

生活騒音トラブルの根底にあるのは、『これだけ我慢しているのに相手は全く静かにしてくれないという不満(住宅地は住民がゆっくり過ごせるよう静かであるべき)』と『昼間にこれくらいの音・声ならそんなに迷惑にはならないだろう(人が集まって何かをする時には少しくらいうるさくても仕方ない)』という認識のギャップ。

だが実際には『体調が悪い・自宅で仕事をしている・何かに集中したい・自宅では静かにくつろぎたい』などの理由を説明して、少し移動してほしいと頼めば、よほどの人でない限りは移動してくれるもので、遊んでいる子供も騒いでいる人も『悪気(わざとうるさくする意図)』はないことのほうが多い。

スポンサーリンク




楽天AD

「子供を道路・住宅地で遊ばせる『道路族』と生活騒音トラブルの心理:なぜ騒音を我慢している人はキレやすいのか?」への1件のフィードバック

  1. こんにちは。初めまして。
    道路族についてですが、少し勘違いされているようなので説明させて頂きます。
    私もそうですが、被害者は道路族に対して何度も「静かにして頂けませんか?」とお願いしています。しかし彼らはそれを無視し続けるのです。そして嫌がらせという手段で仕返ししてくるから「族」と言われるのです。
    おっしゃる通り、
    >理由を説明して、少し移動してほしいと頼めば、よほどの人でない限りは移動してくれる

    はずなのに、してくれないから道路族なのです。
    そしてマスコミも勘違いしているようですが、都会では公園は必ず徒歩圏内にあります。小学生であれば自転車に乗りさえすればボールもスケボーもOKの大きな公園も必ずあります。

    さらに付け加えれば、自宅内での音ならまだしも、公共の道路で遊ぶ音は生活音ではありません。

コメントは停止中です。