教育学部の入試で面接試験が増加:事前に教員として不祥事・性犯罪を起こさない人間性は見抜けるか?

短時間の面接で教員としての資質・性嗜好を見抜くのは難しいが、わいせつ教師も普段の仕事や生徒対応で疑われている人は少数派であり、『長時間の面接・職務遂行の観察』でも見抜けない二面性は残る。

<教育学部入試>面接増 国立大の半数「人間力見極めたい」

見極めるべき『人間力』とは何なのかの具体的定義さえ難しいが、フィリピンかどこかで何千人も未成年買春して記録を残していた倫理観・常識がぶっ壊れた校長さえ普段の仕事では同僚教師・保護者の印象や評価が悪かったわけではなく、海外赴任を厭わない熱血教師と見られ、ペドファイルのような犯罪的な性嗜好も知られていなかった。

大学・教員の採用面接や仕事現場、職務評価が関わる場面では、どんなに悪質な性犯罪の妄想・計画・意図を秘めた人でも、『求められている常識的・倫理的に望ましい回答』がわかる以上、『自分が性犯罪者候補・不適格者とみられるボロ』を出すはずがない。試験・面接や普段の仕事ぶり・人間関係以上の識別は現実的に困難だが。

よほど日常生活やプライベートに密着し、パソコンやスマホの中身まで調べるならある程度の趣味嗜好や価値観は分かるとしても、(盗撮・下着泥棒など犯罪があれば別だが)『性的・暴力的なコンテンツの視聴履歴』等だけで『実際にルール違反・犯罪行為までする人』かまでは断定できない。

厳密に教員の適性検査をするなら、『現代には聖人君子はいない前提』での検査とならざるを得ない。『頭の中(内面)にある倫理的・社会的に好ましくない妄想・性欲・イメージ』を一線を超えて実際に実行してしまうかどうかは、『自制心・自己制御・職業倫理』になるが言葉のやり取りや仕事ぶりだけでは分からないかも。

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