部活動の顧問による暴力的指導による死亡事件:なぜ真面目で協調的な人ほど『部活・会社』が危ないのか?

部活動の顧問による指導と称した犯罪的暴力によって命を奪われた高校生…昨夜ニュース特番で少し見たが、『部活と企業+犠牲になる人』には一定の共通点はある。近代の規律訓練と集団適応が『上下関係・秩序への絶対服従』となって現れやすいハードな部活・企業で、真面目・責任感・根性のある非個人主義の子ほど危ない。

文化部・帰宅部を選び部室・家で好きなことをしようとかいうタイトな上下関係を嫌う個人主義者、規範や秩序、強制から距離を置いて全体俯瞰で頭を使うタイプは、組織適応はいまいちな人も確かに多いが、一面では『部活・企業で殺されない人(理不尽な上下関係・暴力に堪えない、場所やルールを上手く変える)』かもしれない。

真面目・責任感・根性があっても、根の部分で『私は私、あなたはあなた(究極的にあなたとの間で上下関係はなく一定以上の暴力・侮辱を容認しない)』の不遜な個人主義者というのは、殴られっぱなしにならないというのもあるが、固定された上下関係や同調圧力・身分区別のある集団を居心地が悪いと感じて、するりと距離を置くのかも。

根本的には集団内の上下関係や暗黙の了解に逆らっても、自分なりに生きていけるか、相手に全面依存しなくても何とか稼げるかという部分が関係する。進路評定・人生指針だとか収入源だとかで、がっちり首根っこを捕まえられ『自分など無力』と感じていると、『その場・関係以外の生きる道』を人は簡単に見失って萎縮する。

○現代の少年犯罪や凶悪事件は統計上減少を続け、若者の平均的な質・能力・対応も1980年代以前より高いと感じるが、であればこそ『現代における貧困と無知・無作法・優しさ欠如・粗暴下品・言葉の悪さ』は環境と遺伝を間接に示す悲惨な格差となるか。年配の言葉の悪さ、下品・粗暴、自棄も言っても無駄な酷い例はあるが……。

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