真矢ミキが高卒認定試験に合格:年齢を重ねても残る学歴へのこだわりと学歴の意義

50~60代以上なら中卒率も高く学歴不問で製造業を中心に終身雇用を得られ叩き上げで出世もできた時代である。真矢ミキに限らず昔の芸能人は学歴より現場の実力だが昭和の学歴イメージは育ちのよさや後から取り直しにくいであった。

真矢ミキ、高卒認定試験に合格し涙!「人生の穴を埋めたかった」

学歴の実利性は『良い条件で雇われること・大企業内部の出世の壁(能力と実積で越えられない擬似身分)』にあり、基本的にはサラリーマンにならなくても人並み以上に稼げる真矢ミキのような人であれば必要ない。だが芸能人や経営者として成功した人で、後で実用の必要はなくても高卒・大卒資格を得たいと思う人は多い。

端的には、パブリックなプロフィールで誤魔化せない属性であり、折々に出身校・学生時代の話が出るからもあるが、真矢ミキなどのように文化人・教養人としての仕事も増えてくると、人生・仕事の経験知だけでは補いにくい基本教養やある種の学歴ありきの偏見を意識しやすくなるのもあるだろう。実力と形式の問題か。

真矢ミキは平均的な高卒以上の自分のインテレクチュアルな見せ方ができて、パブリックイメージも粗野・無知ではなくて上品・知的に近いと思うが、学歴というのは無意識に大衆の階層意識の偏見と結び付いている。つまり、人によっては学歴がない知性を学歴のある知性より一段劣る非公式な自己流とする見方は根強くある。

学歴によって知性・教養・育ちのざっくりとした推測や偏見を受けるというのは、真矢ミキのような好ましいパブリックイメージが確立していれば余り問題ではないのだが、『市井の中卒高卒の個人的な勉強家・教養人』のほうに多い悩みかもしれないが。現実には高卒以下で非公式な知的文化的生活を送る人は多いものでもある。

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