とんねるず・石橋貴明の「保毛尾田保毛男のネタ」は現代のお笑いとしては倫理・差別の問題が多くなった

昔は松田優作や松方弘樹等は徹子の部屋でタバコを吹かして話し、深夜にAV女優を集め脱がせる番組もあったが、『とんねるず的な外見特徴を揶揄する笑い』が現代の倫理・差別のコードに抵触しやすくなっただけである。

とんねるず「保毛尾田保毛男」批判にフジ社長が謝罪(http://mixi.at/aeZgOUY)

昔のお笑いは、とんねるずに限らず、ドリフターズでも、軽度知的障害(当時は知恵遅れでただ頭が悪い認識)や不細工、田舎者、貧乏人や乞食まで含めて『能力・魅力・洗練度・知性が落ちる冴えないマイノリティ』をバカにしても良いキャラクターに設定していた。いじめや差別はある種の笑いを伴うというのは事実としてある。

石橋貴明の保毛尾田保毛男のキャラは、『見かけは毛深くて完全に男なのに、心や動作だけ女で、勘違いして男にまとわりつく気持ち悪いおかま・ゲイ』を誇張したもの。伝統的ジェンダーにあるホモフォビア(ホモであると思われる事の恐怖・恥辱)を背景に、当時は『バカにされて当然のジェンダー違反の気持ち悪さ』で笑われた。

なぜ保毛尾田保毛男のキャラに倫理的・LGBT的なクレームがくるかというと、『ホモセクシャル・トランスジェンダーの気持ち悪さや情けなさを自明化するカリカチュア』として差別や偏見を助長しやすいからだが、昔の世間体とは『標準・常識のあるべき人間像(男女)やライフスタイル』から外れて笑われる恐怖でもあった。

昔のお笑いの中心には、『世間体が立つか・集団の価値判断の序列において上か下か』があり、『バカにされ笑われる個人の心理』は無意識に切り捨てられていたといえる。バカ・貧乏・田舎者(方言)・老人(認知症)・ホモ・エロ親父・性別違和感・不細工・勘違いした冴えない男(女)などは、世間で笑われて良い存在だった。

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