日本のリベラルの弱体化と前回の衆院選:リベラル思想の原点と歴史

自民党の安倍首相に任せておけば安泰の声も多いが、既に長期にわたり政権を握った。もっと長く磐石になら、カエサルや金正恩の如く終身独裁官のような身分にでも…だが日本の問題は政治家だけで解決できる類ではない。

<衆院選>リベラル票はどこへ 選挙難民状態 (http://mixi.at/aeZ6PtK)

リベラルとは何か?「国家権力からの自由」を唱えた人たちが古典的リベラリストであり、「国家は国防・警察だけする夜警国家で良く、必要以上の税金を取ったり労役などの強制をするな」の立場がリベラリスト(自由主義)の原点だ。20世紀半ばから欧米のリベラルは「国家権力による自由=社会福祉の強化」が中心になった。

20世紀半ばから、無力な個人は国家に干渉されない「自由」があるだけでは意味がなく、最低限度の文化的生活が「平等」に保証されなければならないと考える勢力に変質した。古典的リベラルは「税金の安い小さな政府」と相性が良かったが、次第に「社会福祉・弱者救済をする大きな政府」と相性が良くなった。

現代でいうリベラルは「個人の自由・平等を基盤とする人権を尊重する勢力」「個人の最低限度の権利や生活を国家が保証すべきと考える勢力」といっても良いが、同じリベラルでも「自由」を重視するか「平等」を重視するかで社会保障などについての価値観は全く変わってくる。保守との違いは、集団主義か個人主義かが大きい。

リベラルは「反戦・平和」と必ずしも結びつくわけではないが、リベラルの国家観は「自由・平等な市民の集合体」であって、保守の国家観の「歴史的・民族的・制度的な国民の集合体」のイメージと違ってくる。リベラルは個人・家族の自由・権利のために連帯して戦う感覚で、国家や義務のための意識は薄いだろう。

とはいえ、保守よりもリベラルは『反戦思想』と結びつきやすい傾向はあり、端的にはリベラルは国家(権威的な指導者)によって生命や自由を奪われたり支配されることを許さない個人主義者であるから、「個人の自由・権利を守るための団結や戦闘」は有り得ても、国家国益・制度的義務の下で戦う人は少ないのだろう。

リベラルからもっとも遠いのが北朝鮮のような独裁者が支配する体制だが、古典的リベラルは「野垂れ死にしてもいいから、誰も干渉するな(自分が自由意思で決める)」であり、これは確かに国家・徴兵の戦争からは遠い思想だろう。現代のリベラル「国家が国民の最低限の権利や生活を保証せよ」は国家依存的ではある。

例えば、リベラリストの起源の一つが、ピルグリムファーザーズらが率いてきたアメリカ移民で、アメリカ合衆国憲法には「政府が人民の自由を抑圧するならば、市民は自ら銃器で武装して団結し、自由を抑圧する不正な政府を転覆させる権利がある」と抵抗権(革命権)が明記されている。これが古典的リベラルの思想である。

アメリカ合衆国憲法は、市民に銃武装の権利を保証し、アメリカの保守派・右翼はこの条文を変えようとしないが、アメリカの保守派は古典的リベラルの自治感覚が強い。故にリベラルだから左翼という理解も短絡的で、古典的リベラルは、自分の運命(行動決定権)を政府や上位者に任せない自由・自立自尊の思想が原点である。

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