立憲民主党から日本のリベラル思想と保守思想を考える:なぜリベラルは説得力を失ったのか?

古典的リベラルは個人としての自立自尊を重視し、近代リベラルは国家福祉による自由平等の保証を前提とするが、リベラルは『余裕あるインテリ層の理想主義』になり大衆のリアルと接続しなくなった。

民進リベラル系、新党準備 希望や自民と対決姿勢鮮明に (http://mixi.at/af0Ws4E)

保守は『国家・民族・組織団体などの集団』を、個人より上位の実在としてその自己保存や拡張を至上命題とするので、必要ならば個人を権力で使役して強制で犠牲を求める事もできる。リベラルは『不可侵の基本的人権』と『個人の自由意思』がベースで、国家や権力者でも本人の同意なき権利侵害はできないとする思想である。

保守は『自由・権利』よりも『秩序・規範』がなければ国家の存続や社会秩序の維持はできないと考え、全体の利益や必要性のために個人(特に権力者・金持ちではない庶民)の自由・権利は制限されるべきという考え方になる。リベラルは各人が各人の権利を無理やり侵害できない原則的ルールの徹底に重きを置く違いがある。

保守は現実社会の力関係・上下関係を容認して誰か(下位者)が犠牲を引き受けるべきとするリアリストである。リベラルは個人の不可侵を権力と万人が守れば戦争・支配はなくなる(例えば金正恩でも個人の人権が不可侵なら命令の正当性が根底から無くなり誰にも危害を加えられないただの個人)というイデアリストといえる。

リベラルは『全員が人権を不可侵とすれば誰にも理不尽な命令や強制はできない』という理屈としては穴がないが、大衆の実感とすれば『馬鹿なこというな。人権云々言っても会社じゃ理不尽な上司に指示され、お金がなければ貧困で苦しむだけだ。現実には上下も格差もある、誰もそんなルール守っちゃいない』で支持されないという罠もある……

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