スクールカーストの構造と心理について、 夫婦間・家族間の殺人事件の比率

○学校も大人社会も擬似的カーストはあるし、その上下にこだわって競争する人もいるが、重要なのは「自分の影響力が通用する相手」と「好まざる影響力を及ぼす恐れのある他者」と「不都合のないレベルの社会適応度・稼ぐ力」くらいだろう。

過酷な現代の「スクールカースト」……その社会的背景は(http://mixi.at/agftM4Q)

スクールカースト的なものも「集団内で影響力や存在感の強い個人・集団と弱い個人・集団」の分離なら、国や時代を問わず多かれ少なかれある。「いじめ・暴力や恐喝・無視や嘲笑」があれば解決すべき問題だが、大人が学生を見た瞬間に勝手に格付けするのは、当事者のカースト・力関係ではなく別の問題・好みである。

結局、階層的(カースト的)な競争・格付けは大人になれば「好きな人達だけでやる優越感ゲーム」になる。擬似カースト問題で屈辱感や劣等感を感じる人は「無理してギリギリの最低ラインで階層間の競争ゲームに参加している気分の人」であって、実際に差別や迫害があるわけではなくいつでも場から降りられるケースも多い。

世俗の欲望(=世間体)と脱俗の俯瞰(=個人主義)のバランスが、擬似的カースト問題を無効化するとも言えるが、「集団内のポジショニング」より「自分が好ましいと思う他者との交流」があればOKの感じくらいが良い。「自分が好きな人・自分の肉体と精神の鍛錬がメインの人」には余り関係ない問題かも。

スクールカーストにしても大人社会の階層意識にしても「個人間の差異」は消せないが、その差異を「上下・優劣・尊敬と侮蔑(媚びと虐げ)」で捉えすぎると実際の問題や被害妄想が生じやすい。個人間、私と他者の差異をどう受け止めるかは、自分はある程度コントロールできるが、他者の価値判断や言動は制御範囲外ではある。

○殺人統計でも『他人と深く関わらない傾向』を反映し、2016年に親族間殺人比率が55%となり、面識なしの他人の殺人は約10%である。動機は憤怒・怨恨・痴情(離婚含む)に最近は介護疲れが加わった。

「妻と口論」切りつけた疑い、夫逮捕 北海道、妻は死亡 (http://mixi.at/agf9zS6)

殺傷事件は濃密な人間関係の利害と情動のもつれで起こることが多く、他者と距離を置きやすい現代人は歴史上、最も人を殺さなくなったとも言える。殺人件数は成人も少年も一貫して減少を続けるが、高齢化で高齢者の殺傷は微増している。戦後の混乱期の3000件から昭和の2000件を経て、平成は1000件前後である。

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