田部井淳子「再発!それでもわたしは山に登る」を読んでの感想、「人間性の弱さ・醜さ」の受け止め方

○田部井淳子さんといえば女性初のエベレスト登頂、七大陸世界最高峰登頂の記録で知られる人だが、七大陸最高峰の記録は53歳時のもので、非常に根気強く死ぬ直前まで山に登り続けた登山家である。「再発!それでもわたしは山に登る」を読んでいるが登山家は晩年のエピソードも超人的で面白い人が多い。田部井さんも例外ではない。

腹膜がん発見後も登山と仕事のペースを変えず、東ティモール、ニカラグア、アンドラ公園の山に登り、自分が来ることを待つ人がいる登山イベント全てに顔を出すだけでなく一緒に登頂している。がん末期の呼吸困難に際し、エベレスト登頂時の酸素濃度の低さ・つらさに相当する感じで本当にきつそうだという、旦那さん経由の推測的な感想も田部井さんらしい。

抗がん剤の副作用で手足のしびれが出た事で、5000m峰以上の高山登山の仕事の約束を果たせずに残念、申し訳ないという感想を漏らすが、普通74歳で富士山だって登れない人が大半だ。足腰に絶対の自信があった田部井も弱り、電車に乗るのがつらい、階段を上るのが大変と思い始めるが死ぬ直前まで国内の登山は続けた。

田部井さんが最後まで自分の死後にも続けて欲しいと思っていたイベントは「東北の高校生の富士登山」で震災後の2012年からボランティアで精力的に続けてきたという。何百回も登った富士山なら登れるという思いで胸水を抜いて登ったが、初めて七合目(3010m)で登頂を断念、限界に直面、富士山が最後の登山になった。

田部井淳子さんは女性初のエベレスト登頂者や登山活動の啓蒙者という事が注目されやすいが、この本では「末期を支えた夫や家族との交流」も主要なテーマになっている。田部井さんの夫に宛てた最期の筆談などは胸を打たれる。亡くなる前のラジオ収録も末期がんの人を励ましたい思いでギリギリの体調で強く参加を希望した。

○人間性の醜さ・弱さ・惨めさに徹底的に打ちのめされた人のうち、ある者は社会を憎悪し他者を傷つける悪人に落ちる。ある者は性悪説を前提とする合理的な法の思想者に、ある者は不完全な人を超えた神仏にすがるしかない宗教者に、ある者は他者を信じず我が道をいくエゴイストにか。凶悪犯罪者の罪悪深重も人の哀れの一面か。

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