「嫌です」が言えない自分を変えられる方法、 ダウン症のイケメンと差別心理・自己客観視の能力

○サラリーマンか自営業・フリーかでも違うし、その人の能力・信用・評価でも違う。「明らかな体力気力の限界」か「自分の能力や適性の完全な不足」がなければ大半はやるだろう。マルチタスクの過労死ラインなら事情を話して断るべきだが。

「できません」「嫌です」が言えない自分を変える方法

経済的に余裕があってその仕事の収入がなくてもいい、業界での評価や信用が高いなら「仕事を選べる立場」で断っても良い。仕事を選べる立場かどうかは、断った後にも人間関係が壊れずに次の仕事・役割があるかどうかという違いである。「実績なしのできませんの連続」だと、仕事や居場所がなくなり冷遇されるリスクがある。

○差別の倫理的判断や自己顕示欲の調整、自己のステータスの客観視は、健常者でも高度な知的判断を要する。それを理由にダウン症の青年を非難しても詮無きことではある。障害者は聖人君子でもない。

タレント・あべけん太が自分を「ダウン症のイケメン」と呼ぶ理由 (http://mixi.at/agBo7UA)

障害者は道徳的に正しい考え方や振る舞いをするとは限らない、自他の優劣にこだわらないわけでもない。その部分は健常者も障害者も変わりがなく、倫理的判断や自己イメージの効果的な調整ができる人は相対的に社会性・知性・対人スキルが高い。知的障害者にとってのポジティブさが他者の引き下げとセットの可能性はある。

弱者だから弱者の気持ちがよくわかるはずだというのも、厳密には根拠があることではなく、自分が悲惨な目に遭った弱者だったからこそ、惨めな弱者性を普通の人以上に忌み嫌って差別してしまう人もいるだろう。逆に大切にされ正しい教育を受けたお嬢様や坊ちゃんだからこそ情操教育と倫理の高度化で弱者支援に熱心な人もいる。

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