中高年のひきこもり問題調査について雑感!、 妻・息子に殴られて父親が死亡した事件!

○仕事をしていないが遊びや外出はできる社会的ひきこもりと対人的な恐怖・パニック・コミュニケーション困難などがある病理的ひきこもりは心理・状況・対応も異なる。40代以上は期間の長短でも変わる。

中高年の引きこもり初調査へ=政府、40~59歳の実態把握

過去に働いた経験がありただやる気がないだけ(できる仕事をしないプライドが高いだけ)の40~59歳の社会的ひきこもりは、生活費がなくなれば警備員なり新聞配達なり経験不問ですぐできる何らかの仕事を探すだろう。対人恐怖やパニック、対話困難、深刻な体調不良で長期ひきこもりは医療・福祉の支援も必要である。

不登校・中退などから40代以上まで仕事をしていないか一円も稼いでいないかであれば、そこからのリカバリーは基本的な職能訓練や対人スキルの回復も含めかなり困難になる。60~80代以上になれば、ひきこもり云々でなく生命の終わりが近づいている…ゼロから何かを学んで働く再教育も遅きに失したとしか思えない。

ひきこもり支援を就労支援・無職批判に焦点化すると、ニートとひきこもりの区別が曖昧になる。40~50代以上の長期ひきこもりのおじさんでも買い物だけでなく、パチンコを打ったりスナックで女性とだべる人もいるわけで、対人的・健康的な問題や対話の緊張・外出困難がなくて話し好きなら、本人の意思次第な部分はある。

しかし、20代前半の人から見ると、40歳は遥か遠くの先の世代にも思えるが、過ぎ去ってみれば、10年や20年という歳月はあっという間であり、ぼんやりしていれば20歳の若者もすぐに40代のおじさん世代に入ってくる。10~30年、何をしていたんだという批判もあるが、本当に過ぎるのは速いものだ。

現代人の知識情報の爆発的な増大とリアリティー感覚の拡大(VR・AR・AI・ロボット)などを考えれば、本当は約80?100年の寿命、約30年の若い時代というのは余りにも短すぎるとも言える。知りたいことややりたいこと、体験したいこと、関わりたい人などすべて満喫すれば、数百年あっても、光陰矢の如しだろう。

平均の知性がある長期ひきこもりの人の場合、多くは「自己評価と自分が実際に就業できる仕事・収入のギャップ」に我慢できず、ああでもないこうでもないで10年超の時間が過ぎたのだろうが、結局、そういった人の頭の中にあってプライドと葛藤する「知性・職業・所得・財産のヒエラルキー」もこだわる必要の薄い幻想である。

○年末年始にかけて父親が殺される事件が続く。「父性的な権威」が消えた現代では「うるさい・威圧する父親」でなく「好かれる・話せる父親」を意識しないと、殺されないにしても次第に居場所がなくなる。

妻と息子に殴られ死亡か 埼玉県警、傷害容疑で逮捕 (朝日新聞デジタル – 01月06日 20:15)

中年期のモラハラ・DV離婚にしても、初老期の熟年離婚にしても、現代は「家族でも夫婦でも恋人でも人間的に嫌われれば終わりの時代」になってきている。一緒にいて不快や緊張を感じさせる父・夫は、昔なら家長の父・夫としてふんぞりかえる事(周りが合わせる事)もあったが、今は一緒にいたくない人と思われたらアウト…

殺傷事件まで発展する家族関係(夫婦・親子)というのは、基本的に性格・生き方の相性が悪かったり、経済的問題を抱えていたりする。長年にわたって「一緒にいたいわけでもないのに一緒にいる関係(経済・能力・意欲の面で別れたくても別れられない関係)」がやはり多い。「家族=好きな人・大切な人」になれない先にある悲劇でもあるのだろう。

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