「人間関係リセット癖」の増加と人間関係を維持する難しさ、 人を見かけで判断してはいけないのか?

○人間関係にもエントロピー増大則は働き自然に何もしなければ疎遠・希薄になる。リアルでもウェブでも能動的にリセットする事はないが。

人間関係リセット癖のある人々 「LINEのアカウントを何回も消した」「ある日突然全てが煩わしくなってシャットアウトする」 (キャリコネ)

リアルでもウェブでも自分からリセットすることはなく、登録した電話番号なども過去から全部そのまま放置しているが、わざわざリセットしなくても自分から連絡しなければ(何回か返信・折り返しもしなければ)、よほど親しいか長期の関係にある相手を除き、9割方は自然消滅する。学生で毎日顔を合わせる友達はまた別かも。

SNSというかmixiのメリットは、「来るもの拒まず、去るもの追わず」が気楽に実践できることで、「自分が発信したい情報・主張・解釈」をアップしながらマイペースでやり取りできることだろう。別にリセットしなくても、ログインしなくなる人・やり取りがなくなる人も多く、反応があれば返すスタイルが気楽である。

リアルの固定的・長期的な人間関係というのは、人によっては「人生の思い出・心の支え」にもなるし「合わせるのが面倒・マンネリ化して出向くのが手間」にもなり得るので、一概にこうするのが正解というのはない。学生時代から老年期までずっと続く固定の友人関係などは凄いと思うが、人付き合いを優先しないと続かない。

各年齢段階におけるコミュニティーへの帰属感・仲間意識の強さ、昔の出来事・人間関係を懐かしく思い出す郷愁の強弱でも変わるが、「決まった相手と定期的に会い続ける」というのは意外に大変なもので、仕事とか結婚・家族とかの強制力(生きるための必要性)がないと、人は同じ場所・関係に留まりにくい性質もあるかも。

家族・親族も「同居の必要性」がなくなれば疎遠になり何年間も会っていない親子もいるわけで、夫婦・男女も「同居・育児・相互扶助・老後保障など絶対的必要性」がなくなり、別居して本人の自由意思だけで会うか決めるとなれば、長期では疎遠になるだろう。自由意思のみの友達関係が疎遠になりやすい理由でもある。

○「見かけで判断しないで」は昭和の時代から言い古された話だが、「見かけ勝負の芸能人」で仕事に支障がないなら何色でもいい。茶髪パーマで免許写真を撮影した僕は、身分証の印象が怪しくなったので後悔したが……

「社会不適合」の声も 松井玲奈、金髪からイメチェンで“見た目”への持論を展開

中身か外見かは二元論ではなく「奇抜な髪色・髪型」を思わずしてしまう人は、ハイテンションな気分だったり面白い知覚的変化(いつもと違う見かけ)を求めている。美容院で頼む時にちょっと違う感じにしたいミーハーな人というだけ…基本、自意識過剰か目立ちたがり屋で芸能人なら尚更w

しかし髪型髪色・服装は集団や職業、人間性のステレオタイプを形成しやすいので、「見た目ではなく中身・本質で判断してほしい」というなら、はじめから「他人(社会一般の常識観念)からどう見られるかの要素」は無視できない。芸能人・美容師・アパレルは自由度は高いが、一般企業人では信用を損ねて実害がでる恐れがある。

女優(俳優)なら、役柄に合わせた髪型・髪色が求められるのであって、そんな時にも「この髪色がポリシーだから云々」と眠たいことを言っていては、仕事がなくなるだけだろう。アイドル稼業だけなら、ファン層の最大公約数的なヘアスタイルの趣味嗜好に合わせた方が人気がでるというだけ。アイドルファンは黒髪好きが多そう。

○格差の世代間継承は形式的な四民平等後の明治期からあるが、現代の問題はむしろ学歴が低くても「格差継承・擬制身分の仕組み」に気づいて階層再生産を萎縮する人が増えた事にある。

学歴は家庭内で再生産される? 林先生が考えを改めた「学歴社会の真実」が話題に (しらべぇ)

学歴・職業・収入の高低に関わらず、現代人は自分とほぼ同程度の人生や働き方を再生産する意味での階層再生産に抵抗する人が増えたという側面もある。昭和後期以前の「蛙の子は蛙的な現実受容」による人口や階層の再生産が停滞しているために発生した問題は、先進国に共通するが「自己愛・自意識・教養の肥大」と関わる。

労働問題も「イワンの馬鹿」になれる実直・忠実・従属の労働者意識や身分感覚が減り続けている事と相関する。現代社会で上下関係や身分相応・階層分化を全面的に受け容れられる人は減った。ブラック労働や格差社会をある程度理解し未来を予測する先進国の庶民は、学歴・職業を問わずイワンの馬鹿に徹する事に抵抗を生じる。

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