『だんなデスノート』に反映される現代女性の心理、 現代の貧困問題は同情されにくい、 正しさの押し付けに対する不快感など

○現代人の大半は最低限の暮らしができるだけでは大して心が満たされないが、結婚・旦那や労働に対する強い不満は持つ人は『大して面白い生活でもないのに食わせてやっている・働かせてやっているという相手からの束縛感や自己の無力感』を意識し過ぎるのだろう。

「だんなデスノート」が書籍化 http://mixi.at/agC1H9n 10月30日

DVやモラハラ、貧困生活の待遇を受け、旦那に死んでほしい妻もいるだろうが、そういった心理も『大して好きでもない相手に頼らなくては生きていけない自己の無力感・依存心』に基づいている。まあ、結婚する前に旦那から『俺に任せておけば安心・絶対に幸せにするから』などの口約束をされて実態が違った可能性もある。

一緒に苦労しても良い相手とでないと結婚すべきではないとも言われるが、実際に男側が強く惚れてアプローチする場合などは、『自分と結婚するメリット・生活できる安心感』をちょっと盛って伝えるタイプもいるので、結婚する前と後で生活水準・相手の性格が違った、騙されたと思う人がある程度いても不思議ではないが…

自分自身で自分の運命を切り開けず、不本意な場所や役割に嫌々ながら止まっている人は、どうしても結婚や労働、配偶者への不平不満は強まるが、ある意味ではそれが庶民の現実であり、自分が力を持てなければ、価値観や生き方の尺度を変えるしか楽しくする方法はないだろう。他者や会社に全てを左右されれば不満はでやすい。

○公務員を辞めて建設作業員になった事で借金・生活困窮、義母・妻から連日役立たずと罵られるモラハラを受け…だんなデスノートの逆のような事件だった。

家族3人殺害、奥本死刑囚が手記「この世との縁が無くなっても償いを続けたい」…死刑確定から3年 弁護士ドットコム 12月10日 http://mixi.at/ajwLawv

○現代では「万人に同情される貧困」はない。大半の人は全力で頑張っても金持ちにはなれず、自分より苦労や努力が足りない者が底上げされれば損のように感じる。故に貧困は隠蔽され少子化も進む。

月17万円でも苦しい…「理想の貧困」の誤解、家計簿でくつがえす (ウィズニュース – 11月08日 http://mixi.at/ahSmnF2)

朝から晩まで死ぬ気で働けば、無能な人でも20万程度は稼げるというのは事実としてあるが、現代人にとって「一切の余暇なく働き詰めでギリギリの人生」や「スマホもまともな服・食事もない生活」というのは耐え難いものであり、昭和中期以前の人間とは貧困耐性やテクノロジー、周辺環境・他者があまりにも変わっている。

昭和中期までは貧困とは労働者層・大衆の共通体験であり、大勢が農家・工員など同じような労働環境で低賃金だったため「貧困に対する団結・連帯」が可能だったが、現代の貧困は階層性がなく個人の問題に還元されやすい。貧困な人は大勢いるが、貧困層と呼べる共通体験に根ざした一体感や異議申し立てはそこにはなくなった。

現代の政治にとって「個人化したバラバラの貧困問題」は「階層化した団結してくる貧困問題」に比べれば遥かに管理が簡単で、無力な個人はある程度無視しても勝手に犯罪や自殺、精神疾患に追い詰められるだけと高を括れるものになった。大衆の貧困による反逆、共産主義思想などは現代の個人化社会では共感されないからだ。

個人化社会における自己責任原理という黄金律によって、「格差・貧困」はあっても「階層・連帯・互助・抵抗」が非常に脆弱なものとなり、個人のメンタリティーも「貧困・無力・孤立は自業自得という思い」で自己否定に追い込まれやすくなっている。現代の未婚化少子化・精神疾患など多くの問題の背景にあるが解決は難しい。

○新製品は「新デザインはダメ・これは売れない」の意見は出るが、任天堂スイッチのように蓋を開けると爆売れは多い…高齢者層の株高の恩恵もある、ソニーのaiboも売れると読む。

ソニーの「aibo」がついに復活! より愛らしく、唯一無二のパートナーに成長 (BIGLOBEニュース http://mixi.at/ahLOK6C 11月02日)

テレビニュースで実際の目の動きや仕草を見たが、個人的には可愛らしくて欲しいと思った。高齢者で約20万を簡単に出せる層なら、精神的な人恋しさや愛着対象を求める心があれば、家電売り場で見ていて分かりやすく接客されれば、購入意欲をかなりくすぐられる。生きたペットの世話が要らないメリットは高齢者には大きい。

ロボットの見た目をリアルに近づけた方がいいのかは、認知科学では「不気味の谷問題」と呼ばれて、リアルの人間や動物に中途半端に似せたロボットは嫌悪感を感じられやすいが、このaiboはそこまでのリアリティーはなく、漫画的な子犬のレベルに留まっている。外見のリアリティーの高度な追究は、コスト面でも難しい。

○人間関係や敬意・承認の前提なしに、赤の他人が「正しさの押しつけで相手の内面・行動・生き方を変えようとする」ならば無理だろう。非常識で危険な人ほど故意に近い悪事や横柄が多いものだ。

正しいことを言われているのに、ムッとした経験がある?―「正しさの押し付け」はなぜ生まれるのか? http://mixi.at/ahSWtjr

人間、ある程度の年齢まで生きていれば、「一般的・常識的な正しさの基準」くらいは分かっているはずで、極端に非常識・生意気で迷惑・危険な人は「分かっていてやっている(自分なら許される・他人なんてどうでもいいなどの歪んだ信念)」と推測した方が合理的だ。知識や情報として正しさを伝えても、その類には通じない。

確かに「声のかけ方・言い方・説明の仕方」によって、受け入れてもらえる正しさや道理も当然ある。「対話可能な相手」で「不注意でちょっとした迷惑行為」をしたようなケースなら、普通に話せば改めてくれる。「ネット上の意見・主張の正しさ」にまつわる合わない相手との言い争いは、どちらでもいい問題が大半……

人は確かに傲慢な態度や威嚇的な大声で注意されれば多少はイラッとくるだろうが、「悪事・迷惑の程度問題」でまともな人はうっかり悪いことをしたと気づけば改める。大きな悪事をしている通り魔や銃乱射事件の犯人、ヤクザ風の集団に正しさを押し付ける人はいないように、言いやすい相手や問題を選んで言うのもあるがw

高速道路上の煽り運転で夫婦が死亡した事件も、言いやすい相手や問題を選んで言う認識が関係していて、中途半端な不良や悪ぶった者の場合、「俺が言い返せない奴と見られて舐められたからあいつは偉そうな態度で注意してきたんだ」という曲解をして悪事そっちのけで逆ギレするケースも多い…丁寧な言い方が大事は自衛もある。

悪ぶった人(相手を屈服させるため人生を捨ててもいいというやけっぱちな短気さを持つ者)の中途半端なメンツやプライドは簡単に殺人・傷害につながるケースが多く、実際に「モノの言い方一つ・表情の見せ方一つ」でいくら正しくても命を落とせば元も子もないというのはある。相手を見て注意したほうがいい面はある。

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