人類(主体)と自然(客た)の関係性の西洋哲学、 パウル・クルッツェンとユージン・ストーマーの「グレート・アクセラレーション」

○人類史及び人間の意思は、「自然・必然」と「人間・自由」の二元論で進歩、倫理判断(善悪分別)を繰り返してきた。自然を「非生命」と見なす機械論的自然観、人間も「自然の一部」と見なすガイア思想の両極において人類はいったん挫折を経験し、「地球史的な環境課題・生存危機」と「差異拡大による野蛮の復活」に喘ぐ。

「主体(見るもの)」と「客体(見られるもの)」の二元論は、特に人間の自然征服やモノ(資源)の操作・開発、戦争による支配・独占、男女ジェンダーの役割分担などに影響を及ぼしてきたが、近現代において「客体の主体化・人権の拡張・倫理や内省の深化」などによって、主体と客体の境界線は揺らぎ崩れ始めたとも言える。

近代人にとっての主体とは「意識の尊厳の基盤・権利享受の資格」で、主体の範囲拡大が近代の「権利感覚」を形成した。主体とは「過剰な生命化(価値ありとされる生命)」であり、客体とは「過剰なモノ化(配慮不要とされる非生命)」であったが、「生命至上主義の拡張」としてアニマルライツや菜食主義等も考えられる。

ホッブズの「リヴァイアサン」やルソーの「社会契約論」は民主主義思想のバイブルとして有名ですが、人類と自然の相互性・倫理判断に関してはミシェル・セールの「自然契約」も面白い内容です。アレクサンドル・コイレの「コスモスの崩壊 閉ざされた世界から無限の宇宙へ」というコスモロジーの観点からの本もある。

地球史・地質学の年代区分は気が遠くなるが、今まで地質学的年代は「人類の影響」を排除してきた。現世人類自体の歴史が約20万年しかなく、数百万年のオーダーでは人類の影響は皆無と見なされたためである。第四期・更新世は約250年前、第五期・完新世は約1万2千年前に始まったが、近年は第六期・人新世が提唱される。

人類が地質学的オーダーでも地球史に看過できない大きな影響を及ぼし始めた意味を持つ「人新世」は、産業革命以後の「地球温暖化・環境汚染・人口爆発」を前提にしている。さらにプラスチック製品や放射性廃棄物など数万年以上の単位で、人類絶滅後にも「人類存在の痕跡が地層に残ること」を含意しているという。

未開のジャングルであるアマゾンの奥深い地域にも、かつて人類が自然を利用する原始的文明を築いていた痕跡が発見されるなど、人新世には「人類の影響がゼロの地域が地上に残されていない」意味もある。大気化学者パウル・クルッツェンと生物学者ユージン・ストーマーによって「人新世」の概念が提唱された。

パウル・クルッツェンとユージン・ストーマーは、人類の人口・エネルギー消費・工業生産の急増を指して「グレート・アクセラレーション」と呼び、この大加速が人新世において人類の存在痕跡を地質にも刻むとした。人類は約5000億トンのコンクリート、約5億トンのアルミを製造し、年間3億トンのプラを製造し続ける。

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