人に「学歴」を聞いてくる人は何を考えているのか?、山口揚平「新しい時代のお金の教科書」からお金と人間について考える、現代で望まない妊娠をして悩む若い女性の問題など

○研究者・学者・専門家の世界で学歴を聞くことには、「専門性・師弟・業績・研究内容」を知るという意義があるが、一般的には「偏差値・入試難易度による序列」が背景にあるので嫌な人は嫌だろう。

「学歴を執拗に聞いてくる人」にイライラ 女性の投稿に共感の声 (http://mixi.at/a3v9BUo)

学歴・所得・所属はその価値を認めるにせよ認めないにせよ、「客観的な数字で示唆される階層序列構造」を持ち、どちらが上でどちらが下かの認識は共通のものとしてある。100点は80点より良いという単純な意味は変更できない。共通の常識としてあるがそれを敢えて比較するのは、「競いたい人」以外には意味がない。

学歴は過去の成績ややる気に基づく結果で、「今の時点」で学歴を比較しても、学歴に納得できていない人にとっては(権威的な学歴と関係ない世界と仲間関係で生きていきたい人にとっては)、敢えて指摘されても愉快な気分にはならないということである。学歴でもお金でも、その話題をしたい人かどうかを見極めることが大切。

逆に、その人の学歴が良いことが分かっていて自分から言わない人に、学歴や専門の話題をさりげなく振れば、相手は喜んでくれやすい。学歴でも仕事・性格・趣味でも、「相手が自分の長所・持ち味としている部分」について上手く質問すれば、相手は心を開いて楽しく語りやすいのである。嫌がりそうな話題を振る必要がない。

さらに言えば、高学歴の人でそれなりに順調なキャリアを積んでいれば、周囲にいる人材や専門家も自分と似通った学歴・学位の人が多くなってくるので、「学歴の高低に関する話題」そのものはまずでない。学歴だけ突出していて、自分と違う学歴の人ばかりの場にいるのは、自分が不本意な仕事をしているケースが多い。

中央官庁のキャリアや医師・法曹、コンサルファーム、投資銀行などに行くような高学歴者の多くは国内なら東大・早慶・国立大・医学部・海外留学組(帰国子女)などであることがほぼ前提で、周りも似たような学歴の人が大半だから、あなたは大卒ですか(学生時代に勉強できましたか)など馬鹿げた質問をする人はまずいない。

学歴・所得・所属組織など階層序列は擬似的身分制だが、そこでマウンティングし続け、最後に行き着くのは皮肉にも個人の力ではどうにもならない「家柄・人脈・歴史」である。最後は祖先の系譜や財閥・閨閥などと関係する「身分制」に近い権威になってくる。今は眞子さんに迫った小室圭さんのような度胸ある庶民も出てきたが

○山口揚平「新しい時代のお金の教科書」は、お金がない社会がユートピアかディストピアかについて考えさせられる本。先史時代のお金の起源の一つは「動かせない石」であり、「物々交換(価値・労働)の流動性を止めるため=価値の蓄積を宗教的・観念的に共通認識させるもの(貝も金も貨幣自体は無価値)」の視点は面白い。

もう一つは現代にもつながる「お金=信用力」という見方があり、お金がなければ絶えず自分の信用力を「役割と労働(役に立つこと)・外見(魅力)・能力・実績」で示し続けなければ生存維持すら困難になる。人がお金を求めない社会は「価値保存がしづらい社会」なので、老化・病気・障害がよりハイリスクになる恐れがある。

お金や貯金(資産)は、過去の労働・投資の努力の蓄積を他者にも通用する価値として保存したものという側面もある。「お金がない社会」では、過去の価値を他者にも通用する形で蓄積することが難しくなるので、「直接の人間関係・記憶や倫理」によって直接助けてくれる誰かを確保し続けるというより高いハードルになる。

お金は確かに人間を不自由にし、ある意味では不本意な生き方を半分強いる力を持つが、逆に言えば「お金・給料の必要性がある人間」が誰もいなくなったとしたら、今ある社会福祉や公的事業、高齢者介護などの仕事に無償・倫理観(慈愛・博愛)で従事してくれる人を探すことが果たして可能だろうかという問題は深刻化する。

それどころか、恋愛や結婚にしても、中途半端に豊かな今ですら、「メリットがない・負担だけ強いられる(男性だけ・女性だけが負担が多い)」というような意見もあるのに、ロボット労働社会などで「生きるためのお金・給料・仕事の必要性」が取り除かれたとしたら、敢えて異性を求める動機は直接の性や対人魅力以外は落ちる。

生きるために必死に働かなければならない、安定した人生設計のためにお金も重要という価値観が、「現代人の生き方・人間関係」を不可避な運命として規定してきた部分は無視できないほど大きい。シンギュラリティーや自動化経済によって、「生きるための金銭・労働の負荷」が今の半分以下になっても人類は劇的に変貌する。

仮想通貨の需要やテクノロジーの話題などもあるのだが、「お金・労働・意識と倫理・異性・テクノロジー」というものの複雑な相互相関関係はそれらのどれか一つが「不可逆的・革命的な大変化」を起こすだけで、社会構造や人間の基本的な生き方・目的意識そのものを変化させてしまう力を潜在的に持つともいえる。

○ http://blogos.com/outline/278426/ 石田ゆり子さん、奇跡のアラフィフと呼ばれるが、二匹の猫を溺愛しているという。「ペットの動物が人間以上に好きな女性」は、前提として「人間の男(というか欲望・意図を持つ人間)」はそれほど好きではない不信傾向が強く、恋愛・結婚への欲も薄め。

猫好きな人は犬好きな人以上に、家族扱いがマニック(熱狂的)な傾向は強く、結婚していてもある意味で配偶者より猫のほうが好きで心配な人も多いくらいである。猫の病気や事故などに大金をいくら使っても惜しくないというような女性も多いが、人並みの葬式を挙げたりするのには驚かされる。数十万のお墓まで売れる……。

極端な動物好きで人には淡白な人に共通するのは、「動物には言葉や邪心(欲望的な意図)がないからいい」ということかも。現代人の人間との距離感に一脈通じるものもある。石田ゆり子さん、若い頃にアプローチしてくる男は多かっただろうし今も誘いはあるだろうが「男の情緒的な甘え・欲望」を好まない可能性もある。

美人で恋愛や結婚から離れる(離婚後に男と関わらない)という人は一般人でも結構いるのだが、男そのもの(男の欲望・要求のパターン)があまり好きではない、庇護してくれるにしても女として世話や性などあれこれ求められるのが嫌(一人でマイペースでやっていきたい・愛情とはいうけど執着されたら面倒)はあるようだ。

○望まない妊娠も中絶も今になって深刻化した問題ではなく妊娠件数も中絶件数も昭和中期のピークから激減した。だが倫理高度化とネット社会で不注意な妊娠は糾弾されやすい。

思いがけない妊娠を誰にも言えず、孤立する女性たちーー背景にある“関係性の貧困” (http://mixi.at/a3w6sAE)

統計的傾向として、望まない妊娠による中絶率は、家庭環境と学歴と有意な相関関係がある。中卒高卒の女性と比較して、大卒以上の女性は有意に平均初婚年齢が上昇して中絶率も極めて低くなっている。地域別では、鳥取県・熊本県・沖縄県等が中絶率が高いが、地域の平均所得の高低でも違いがあるようである。

中絶件数は、1950~1970年代初頭には100万件超で非常に多く、堕胎大国としてキリスト教圏から倫理的に非難されたこともあったが、現在は約17~18万件で激減して、平成だけでも半減している。1000人当たりの中絶率も15から5~7人に減り、未成年の性経験率も低下、10代中絶は全体の6%である。

現代で、望まない妊娠をした若い女性が周囲の誰にも相談できない理由の一つは、それだけ今の時代は若い人で妊娠することが珍しいからというのもある。昔は10~20代前半の妊娠や結婚は今よりも圧倒的に数が多く、親や親戚が何回も妊娠出産する、家に赤ちゃんがいるなど妊娠を特別な非日常の出来事とする感覚が弱かった

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